Ring Ring Ring
 

下町の宿屋の窓から見上げる天を貫く城の尖塔。青い空の下、いつもと変わらない帝都の風景。
しかしその風景の中で空気だけが普段以上にざわついていた。ざわついていると言うより浮ついていると言った方が正しいかもしれない。
それもそのはず、今日長らく空位だった皇帝の座に正式に若き新たな皇帝が就く。世界変貌の慌ただしさで先延ばしになっていたヨーデルの戴冠式が間もなくザーフィアス城で執り行われるのだ。城に入り、尚かつ戴冠の儀を目にすることができるのは皇族とごく限られた者だけだが、せめて近い場所から新皇帝の即位を祝おうと各地から続々と人々が訪れているらしい。

実のところ、下町から城を見上げるユーリの元にはヨーデルより彼と縁戚にあるエステルを通じて戴冠式への招待状が送られていたのだが、当然丁重にお断りした。お断りしたというより中も見ずに突き返した。
一体いつになったらあの天然殿下は理解してくれるのかとユーリは呆れ果てる。しかも今日から彼は殿下から陛下に格上げだ。天然ぶりまで格上げされなければ良いのだけれど。

戴冠式に参列するつもりはさらさらないけれど、この日を選んで遥か遠く旅の空の下だったユーリは帝都ザーフィアスに戻った。少なからず縁のあるヨーデルの即位を祝う気持ちももちろんある。だがそれ以上に祝いたい者がいた。
皇帝の戴冠式に続いて執り行われる、帝国騎士団新団長叙任の儀。前団長アレクセイが謀反の末にザウデ不落宮で命を落として以来、団長代行として帝国の立て直しに尽力したユーリの友、フレンが正式に国の重鎮と国民の前で団長に任命される。フレン・シーフォを長とする新しい帝国騎士団の誕生だ。

帝都の下町で権力という暴力に一方的に虐げられ、鮮やかな空色の瞳に静かな怒りを宿し、新しい光ある世界を目指して飛び出した少年が辿り着いた頂点。
けれどこれが最終到達点ではない。終わりではなく始まり。今やっと、フレンは新しい世界に向かうスタート地点に立ったにすぎないのだ。
騎士団の頂点に立つことで、フレンは大きな自由を手に入れた。だがそれと引き換えに、手に入れた自由以上の不自由に縛られることになるだろう。
だからこそ自分がいる。下町の小さな部屋で大きな理想を語りあった頃のように隣にはいなくても、たとえ歩む道が重なることはなくても、ユーリとフレンの目指す未来はいつも変わらない姿でそこにある。一人ではないと分かっているからどこまでも進んでいける。

喧騒と熱気が一層渦を巻く下町の空気を感じながら宿屋の屋根に登ったユーリは、遠くそびえるザーフィアス城の壮麗な尖塔を見上げた。この場所からではもちろん式典の様子は見えないし声も聞こえない。
屋根の上でユーリは手にした荷物の中から手の中に収まるほどの小振りの鐘を取り出した。飾り気はなく装飾品としては地味だが、なめらかな膨らみを持った優しげな風貌の鐘だ。
しばらく手の中のそれを眺めた後、ユーリは鐘を空に掲げて二度、三度と振り鳴らした。ささやかな音色はすぐに街の喧騒に飲まれて消える。

小さな鐘は旅の途中に立ち寄った街の露店で買ったものだ。普段は旅に必要のない物など滅多に買わないユーリだが、気まぐれに手に取ってそれを鳴らした時、その澄んだ音色とフレンの涼やかな面影が重なった。
古のクリティア族の街ミョルゾへの扉を開く鍵となるような鐘ならともかく、誰の目にも留まる街の露店で普通に売られている鐘など旅の中では何の使い道もない。それでも手にした小さな鐘がどうしても手放し難く、自分で自分に呆れながらユーリはそれを密かに買い求めた。
その後で、帝都ザーフィアスで先延ばしになっていた皇帝の戴冠式と新騎士団長の叙任式が執り行われるという話を聞いたのだ。

澄んだ音色が喧騒を縫う。きっとこの音はフレンに辿り着く前に空に消えてしまうだろう。それでもユーリは鐘を鳴らした。
音は届かなくても思いは届く。たとえ隣にはいなくても、互いの思いはいつでも側にある。

「オレはオレの場所で、お前はお前の場所で……」

想いが同じなら、どこにいてもその存在を感じられるはずだ。
まるで鐘の音を聞き届けたように、尖塔の先から二羽の鳥が飛び立った。鳥達は瞬く間に上昇し、前になり後ろになりながら遥か彼方を目指して迷いなく翔けていく。

新たな始まりの日。帝都ザーフィアスを覆う青い空に涼やかな鐘の音が響いていた。

END