内緒話の法則
 

ギルドの人間は声の大きい者が多い。それは自分の強さを主張するためだったり、武勇伝を身内以外にも広く知らしめるためだったりする。
そんなこともあって、ギルドの総本山であるダングレストは昼夜を問わず街全体が騒々しい。特に酒場などは隣の人間の話声すらよく耳を澄まさないと聞き逃してしまう。だがそんな騒々しさはいかにもギルドらしくて、立派な首領を目指すカロル少年はこの空気も嫌いではなかった。
隣のテーブルでは大きな器に酒をなみなみと注いだ男が赤ら顔でどこそこでこんな巨大な魔物を退治しただの、腰を抜かすほどの金銀財宝を手に入れただのと大声で話している。どこまで本当の話なのか怪しいものだが、大の男が可愛いものだとカロルは微笑ましい思いで誇張気味の武勇伝を聞いていた。

カロルの仲間達は特に上品な集団というわけではなかったが、ぽつんと孤立した島のように周囲からは浮いている。ごく普通に隣り合った者と話しているのだが、この騒々しい中にあっては逆に異質だった。
テーブルの向い側に目をやる。そこには帝都の下町で兄弟のように育ったというユーリとフレンの幼馴染みコンビが座っていて、なにやら雑談をしているようだった。距離と騒音で内容までは聞こえてこないけれど、二人の表情は穏やかで時折笑みも浮かべている。

ふとユーリの言葉に隣のテーブルから上がった「ガハハ」という大笑いが被った。聞き取れなかったフレンが「?」という表情と共にすっと耳を寄せると、ユーリはごく自然にその耳元に口を寄せ、何事かを繰り返した。二人して同時に笑う。
続いてフレンが何事かを伝えようとユーリの耳元に口を寄せると、ユーリはそれを迎えるように少し体を傾けて顔を寄せた。また二人して同時に笑う。

常日頃から互いの心が読めるのではないかというくらいに息の合ったユーリとフレンだが、今見た一連の動きも二人の親密さを表しているようで、途端に好奇心がむくむくと頭を擡げたカロルは自分も「耳打ち」を試してみたくなった。仲間達はあんなふうにごく自然に耳を寄せてくれるのだろうか。
まずは安全圏からということで、隣の席で魚料理の小骨を丁寧に見事なフォーク捌きで寄り分けている皇女エステルの袖を引く。

「ねぇねぇ、エステル」
「なんです?」

手を口元に添えて耳打ちの仕種を見せると、エステルは何の疑問も持たない様子ですっとごく自然にカロルの口元に耳を寄せてくれた。問題はそこからで、特に何か伝えたいことがあったわけではなかったカロルは話題に困り、結局正直に事情を説明する。
すると同じく好奇心を刺激されたらしいエステルは目を輝かせて「わたしも試してみます!」とさっそく隣の魔導少女リタに内緒話を仕掛けていた。
エステルの耳打ちにリタはイヤな顔ひとつみせずに素直に顔を寄せている。だがもしこれが自分の場合だったらと仮定してカロルは生ぬるい気持ちになった。ダメだ、カロルが相手だったら絶対にリタは耳を貸してくれそうにない。「何なのよ、言いたいことがあるならさっさと言いなさいよ」、腕組をしたまま頭上から降ってくるそんな言葉がまるで聞いたことがあるかのように鮮明に頭の中で響き渡る。

逆に自分が耳を傾ける側ならどうだろうかと考えてみる。一緒に旅をしている仲間達なら誰が相手でも警戒はしないだろう。
そういえば旅の途中で立ち寄ったマンタイクの街で騎士団員の住民に対する横暴を目撃した時、何とかする手立てはないかと思案する最中にユーリに「耳を貸せ」と言われたことがある。なにやらイヤな予感はしたものの、あの時もカロルは特に警戒もせずに素直にユーリに耳を寄せた。無茶なことは言われないだろうという信頼感があったからだ。

それなら仲間以外ならどうだろう。以前の仲間を思い浮かべてみる。以前所属していたギルド魔狩りの剣の面々ならどうだろうか。
まず首領のクリントとティソンの顔を思い描いてみる。思い描いた瞬間背筋に冷たいものが過った。ないない。即座にカロルは脳内で否定した。何が起こるのか恐ろしくて迂闊に耳など寄せられない。

ならばナンは……。考えて少し寂しくなった。きっとリタと似たような反応になるだろう。リタならしつこく押せば結局は根負けして「もう、何なのよ!」と言いつつも耳を貸してくれそうな気がする。でもナンは怒ってそっぽを向いてしまいそうだ。
まだナンにはそこまでの信頼を得られるほど認められていない。もっと頑張らなきゃ。もっと頑張って、立派になった姿を見てもらって、認めてもらわなきゃ。カロルは気持ちを新たにした。
耳打ちをする側、される側、どちらの気持ちを考えてみても、そこにあるのは相手に対する信頼感、好意の度合いが重要なのだとカロルは改めて思う。

「どうしたの、カロル。食事が進んでいないようだけれど」

フォークを握り締めたまま考え込んでいたカロルを、エステルとは反対側の隣の席からクリティア族の美女ジュディスが覗き込んでくる。

「あ、ジュディス、あのね」
「あら、なぁに?」

試しに顔を寄せてみると、ジュディスは何の躊躇いもなく耳を寄せてくれた。心を許されているのかと思うと嬉しくて、素直にその気持ちを耳打ちする。

「あら、私の好意を試されていたのね」

決して責めている口調ではないものの、そう言われてカロルは少し慌てた。疑っていたわけではないけれど、確かに好意を試すような真似をしてしまったことに違いはない。

「あの、そういうわけじゃなくて、えっと……」

口ごもるカロルにジュディスは冗談だとでも言うように「うふふ」と穏やかに笑って見せる。

「でも確かにそうね。信頼していない人に無防備に耳を貸す気には私もなれないわ」
「そうだよね」

表向きは穏やかで人当たりも良いものの、その実人一倍警戒心の強そうなジュディスの同意を得られて、カロルは俄然自分の考え方が間違ってはいないのだと確信を強くする。

「それにしたって……」

ふと表情に憂いの色を滲ませてジュディスが「ふぅ」と軽い溜息をつく。どうしたのかとジュディスの視線の先を辿ってみると、それはテーブル向こう側に向けられていた。

「信頼し合っているのは結構だけれど、年頃の可愛らしい女の子がこんなにたくさん目の前にいるのにアレはないわよね」

酒場の中は相変わらず騒々しい。ギルドの男達の酒の回りも順調なようで、その音量には拍車がかかっている。
そんな騒音の中、ジュディスの視線の先では相変わらず交互に耳を寄せ合い、笑い会いながら完全に二人だけの世界を築き上げつつあるユーリとフレンの姿があった。

END