Sand,Surround,Sound
限界まで引き絞った弓のように、ユーリ・ローウェルのしなやかな全身が指先に至るまで強く張り詰める。
上げることも堪えることもできない声にならない声を零し、張り詰めた身体が今度は一変して水を浴びた砂山のように一気に崩れ落ちた。
焦点は失っているものの、黒い瞳が満足そうに潤むのを見届けてから、フレン・シーフォもまた自身を高みへと追い上げる。
「は……ぁっ」
本能を剥き出しにして腹を震わせるフレンを潤んだ目で見上げたユーリは、もう一度満足そうに微笑んだ。
深い繋がりを解かないまま、ユーリの両脇に腕をついて荒く息をつくフレンの、呼吸に合わせて上下する肩をユーリの掌が包み込んで引き寄せる。常にはどちらかといえばひやりとしているユーリの手が今は湯に浸したように熱い。
「体重……掛けていいぞ……」
導かれるまま、ユーリの胸元にフレンは頬を寄せる。前髪越しに額に唇を押し当てると、のろのろと伏せた顔を起こしたフレンは、ユーリの赤く熟れた唇にまるで乳を求める赤ん坊のように無心に吸いついた。
触れ合う唇はどこまでがユーリでどこからがフレンなのか曖昧なほどに柔らかい。無意識にフレンを受け入れる後孔をきゅうと引き締め、唇と唇の僅かな隙間から零れたフレンの切なげな吐息に初めて自身の身体の強張りに気付いたユーリは詫びるようにフレンの金色の髪を撫でながら下肢の力を抜いた。
「…………?」
互いに髪や肌に唇や指先を這わせて余韻に酔いしれる甘い時間。ふとユーリは指先に触れるものに気付いて微かに身じろぐ。
「どうかした……?」
問い掛けるフレンの名残に掠れた声を聞きながら、ユーリは顔の前に引き上げた手の指先をじっと見ながら擦り合わせた。
「おまえ……最近砂漠行った……?」
「砂漠?……いや、行ってないけど……」
予想もしていなかった言葉にふと甘い雰囲気から醒めそうになったのか、答えながらも内心まだ惜しいというようにフレンは未練がましくユーリの柔らかな耳朶を唇で愛撫する。ユーリの方でも現実に引き戻させたいわけではなく、愛撫を拒まないばかりか心地良さそうに吐息を零しながら自らも唇を寄せてフレンに応えた。
「……シーツに……砂が落ちてるから……」
甘い吐息の合間に指先に見付けたものの正体を明かす。
「ああ」
そう言われればフレンにも心当たりがあるらしい。再びシーツの上を滑るユーリの手を追って布地を探りながらフレンは笑う。
「凛々の明星のみんなと一緒にマンタイクに行って以来デズエールの方には行っていないんだけど、いまだに荷物入れの底とか髪の内側からさらさら零れてくるんだよ。ちゃんと洗ってるのにね」
海岸の砂浜の砂とは違い、砂漠の砂はほんの少し赤み掛かっていて粒子が細かい。
鎧の関節部分や荷袋に入り込み知らずに持ち帰った砂は、私を忘れるなとでも言わんばかりに折に触れて思い出したようにフレンの前に現れるらしい。
「……オレ達と最後にマンタイクに行ったのって……」
その時のことを思い出そうとユーリは熱の冷めやらない瞳を今ではない、過ぎ去った遠い時間へと投げ掛ける。
ユーリとフレンが最後に砂漠の街マンタイクに立ち寄ったのは、世界にまだ魔導器と呼ばれる古代文明の利器が存在していた頃。帝国を離れ自らの定めるルールに従って生きることを選んだユーリと、帝国騎士団に身を寄せて生きることを選んだフレン。
相容れない場所で生きていくと決めた二人の道が様々な要因によってほんの僅かな時間だけひとつになった。
悠長なことを言っていられる状況ではなかったけれど、そんなほんの僅かの奇跡のような時間、風に乗って砂が流れる音が聞こえる砂漠の夜。
記憶を辿りユーリとフレンの意識は過去へと飛ぶ。
* * * * *
「申し訳ございません。今日は大所帯のキャラバン隊の方々が宿泊されていまして、充分なお部屋が……」
砂漠の街マンタイク、初めてここを訪れた時に砂漠に行くというユーリ達のために快く人数分の水筒を用意してくれた宿屋の店主が心底申し訳なさそうに眉を下げる。
「しょうがねぇな、オレ達も充分大所帯だし」
宿屋の前には数台の荷車と、中身は分からないが宿に入りきらない大小の荷箱がずらりと並んでいた。部屋が空いていないのはそれを見た時点で予測できたことだ。
「何人分なら用意できる?」
「えーっと……」
ユーリの問い掛けに店主は手元の帳簿をぱらぱらと捲って確認する。
「二人部屋が一室と個室が一室のみ……ですね」
「そっか。まぁ若干詰め込みすぎかもしれないけど……」
頷くユーリが頭の中で考えていることなどすでにお見通しなのか、最後尾で様子を伺っていたフレンの足は早々に外に向きかけていた。
「二人部屋は女性陣、個室はカロルとおっさんが使ってくれ。二人でひとつのベッドを使うことになるから蹴っ飛ばされて落っこちないように気を付けろよ」
「ユーリとフレンはどうするんです?」
皇帝家の姫、エステルがすかさず頭数に入っていない二人を気遣う。
「ご心配には及びませんよ、エステリーゼ様」
「危険な砂漠で女子供と年寄りを野宿させるわけにはいかねぇだろ。オレとフレンなら大丈夫だよ、慣れてっから」
「危険ならなおさらみんなで……」
承服しかねる顔のままのエステルの隣から、今度は前髪を特徴的な形に盛り上げたギルド凛々の明星の未来の首領、カロル・カペル少年が勢いよく飛び出してくる。その少年の首根っこを横からひょいと掴む腕があった。
「……いい加減学びなさいよ、少年。そんじゃおっさんはお言葉に甘えて快適なベッドで休ませてもらうわ。少年、寝言は控え目でお願いね」
年寄り呼ばわりされたことなどまったく意にも介さない様子で仲間内の最年長レイヴンはカロルを引きずってさっさと奥の部屋に向かう。「学ぶって何を?」と無邪気に問うカロルは「まぁまぁいいから」と相手にしない。
飼い犬というよりは親友や戦友に近いラピードもユーリとフレンに気を遣ってか、ぱさりと長い尾を一振りした後にレイヴンに付いて男性部屋に入っていった。
「せっかくこう言ってくれてるんだもの、私達もお言葉に甘えさせてもらいましょ。行くわよ、エステル。リタとパティも」
女性陣の中では最年長の姉兼母的存在であるジュディスに促され、端から野宿などするつもりのないリタとどちらでも構わないパティは素直に奥を目指し、心配そうな表情を隠さないままユーリとフレンを振り返りつつエステルも渋々それに続く。
「砂漠の夜は冷えるから、二人とも風邪を引かないように気を付けてね」
その場に最後まで残ったジュディスは見る者が見ればひれ伏したくなるほどの妖艶な微笑を残し、彼女の種族の特徴である長い触手をなびかせて悠然と二人の前から立ち去った。
「……何を、どこまで、どういうふうに解釈されているんだろう……」
「そりゃ事実をありのまま、だろ」
茫然と呟くフレンにユーリは淡々と答えた。
風の音が八方から聞こえてくる。厚い布地のテントにぶつかっては散っていく砂の音さえも聞こえるような気がした。小さなランプの灯りが隙間風の中でちらちらと揺れる。
「風が強くなってきた……ジュディの言った通り結構冷えるな」
宿屋を出たフレンとユーリはマンタイクに駐留する騎士団の駐屯地に来ていた。使っていないテントを借りて陣営の隅っこに居候している状態だ。一晩間借りさせてくれと騎士団長代行に頼まれては駐留部隊も断るわけにはいかない。
そもそも執政官代行を騙り住民に横暴をはたらいたキュモール隊からこの街を解放したのはフレン隊だ。すでに部隊長は変わっているものの、今もこの街の治安維持のために残っている隊はフレン隊の威光が強い。
ユーリとしては騎士団の世話になるのは少々気乗りのしない案ではあったが、ここにいれば何か事が起こった際には自分が出ていくまでもなく真っ先に騎士団に出張ってもらえばいいと都合の良い方に考えることにした。
「昼間との寒暖の差が激しいからね、余計に寒く感じるのかも」
テント内の隅に畳んで積み重ねた毛布を一枚取り上げ、フレンがユーリに手渡す。駐留する地域によってはマメに干しても湿って黴臭くなりがちな駐屯地の毛布だが、湿気とは無縁のこの地域ではからりと乾いている。その代わり少し砂っぽい。
軽く手で払って広げたそれを肩に掛け、ランプを挟んで向かい側に座るフレンに視線を向けたユーリは、改めてこの狭い空間に彼と二人きりだということを意識した。
ほんのりと赤いランプの頼りない光に照らされ、フレンの整った顔に複雑な陰影が刻まれる。すっと通った鼻梁のラインが際立っていた。
「何か温かい飲み物でも用意してこようか」
ユーリの視線には気付いていないフレンがランプの燃料の残りを確認しながら問い掛ける。
「ユーリ?」
「……あ……いや、今はいいよ」
「そう?」
フレンにとっては意識するほどのことでもないのだろうか。
フレンとこうして行動を共にするようになってからまださほどの日数も経っていないが、宿泊地が街中の宿だろうと野宿だろうと、女子供を含む八人と一匹の大所帯で行動している関係上、こうして二人きりになったことなどない。今回だけに限らず、互いの目しかない状況になるなどいつ以来のことだろう。
「ユーリ、そんなに寒い?やっぱり温かいもの持ってこようか?」
いつの間にか肩に掛けた毛布の端を強く握り締めていた。ランプ越しにフレンが心配そうな眼差しを向けてくる。
「いや、大丈夫だ。なんか、ちょっと色々考えちまって……」
取り繕ってもフレンの表情は和まない。
「んな心配そうな顔すんなって。でもまぁ冷えるのも事実だし、何ならこっち入るか?」
笑いながら冗談半分、本気半分で毛布の端を開いて見せる。何を馬鹿なことをと受け流されてもいい。本当に一枚の毛布に包まることになればきっと箍が外れてしまうだろうけれど、もうこうなればどちらに転んでも構わなかった。
ランプの赤い光の中で、フレンがふわりと微笑む。布の壁に映った影が大きく揺らめき、瞬間圧し掛かられたのかと思わずユーリは目を閉じた。
だが思ったような重みは感じない。そっと開いた目の前にフレンの整った顔を認め、一体何を期待しているのかとユーリは恥ずかしさにほんの少し視線を逸らした。
「……入るかとは言ったけど……近ぇよ、バカ」
「期待に応えたつもりなんだけど」
「……バーカ……」
悪態をつきながらも間近でじっと見詰め合う目をどちらからともなくゆっくりと閉じていく。瞼が落ちる速度に合わせて互いの顔が近付き、完全に目を瞑ると同時に唇が重なった。
触れ合ったのは一瞬。すぐに唇は離れ、その速度に合わせて今度はゆっくりと互いの目が開いていく。
一瞬で移った唇の温かさに砂漠の夜の外気が冷たい。温もりの名残を惜しむように上唇と下唇を軽く擦り合わせ、そんな未練がましい仕種を見咎められるのも気恥ずかしく、ユーリは視線をやや下方へと落とした。
「……なんだろ、すげぇ照れくさい……はは、ガラじゃねぇな」
キスをするのはこれが初めてのことではない。ここ最近は状況が状況なので自重してはいるものの、二人して積極的にその気になってもっと深い行為に及んだことも一度や二度のことではない。
それなのに、他愛のない唇の触れ合いに驚くほどに心臓が鼓動を速める。一秒ごとに頬が熱く、赤くなっていくのを実感した。
「今までこうして野営地に二人きりになるってことがなかったからね。シゾンタニアに向かった時以来なんじゃないかな?」
ユーリに比べて余裕がありそうだったフレンの声もやや上擦っているように感じる。思いは同じということか。
「マジで?あー……確かにあれ以来か……」
「もっとも、あの時は思い切り離れて行動していたけどね」
可笑しそうなフレンの声にユーリもつられて笑う。
本当に、今にして思えばなぜあんなにも互いの行動が気に入らなかったのか不思議に思うほど、あの時のユーリとフレンは喧嘩ばかりしていた。仲が悪いというよりは自分のことに手一杯で、お互いにそれぞれの苦悩や不安を慮る余裕がまったくなかったのだ。
あの時、もう少し互いの声に耳を傾け、互いの思いを受け取る余裕があったら、今ここにいるユーリとフレンはどんな生き方をしていただろう。
ふと脳裏を過った思考をユーリは軽く頭を振って追い払う。考えても詮無いことだ。どれだけ考えたところでやり直すことはできない。今ここにいるユーリとフレンだけが真実なのだ。
「フレン……おまえ、コレ脱げよ」
余裕の無さが沸点を越え、逆に頭の中も心の内もすっきりと凪いだユーリは、律儀にきっちりと着込まれたままのフレンの白銀の鎧にノックをするように緩く握った手を打ち付ける。
「硬いし、当たると痛いし、冷てぇし」
「え……でももし何かがあったら……」
「何もねぇよ」
フレンの言葉が終らないうちに声を重ねる。
「何もない。そりゃオレは行く先々で厄介事に巻き込まれてるけどな。でもその都度上手く切り抜けてる。決して運は悪くないぜ」
めちゃくちゃなことを言っている自覚はあった。だが「言霊」というものもある。不安を口にすればその心が実際に不安を呼んでしまう。だから不敵に笑い、ユーリはフレンの青い瞳を真っ直ぐに見詰めて言い切った。
「絶対に何も起こらねぇよ」
しばらくじっとユーリを見ていたフレンが根負けしたように眉を下げて小さく笑う。笑みに口角の上がった唇がその形のままでユーリの唇に軽く乗せられた。
「不思議だね。ユーリがそう言うと本当に何も起こらないって思えてくる」
「だから本当に何も起こらねぇんだって」
小鳥のたわむれのように唇と唇を弾ませ合いながら、フレンの手が白銀の鎧に伸びる。構造をよく知らない者の目にはいくつものパーツが複雑に接続されているように見える鎧を、フレンはまるで魔法のようにするすると簡単に取り外していく。金属がガチャガチャと触れ合う音は衣擦れほどの淫靡さはないけれど、それでも次第に近付く素肌の体温にまるで少女のようにユーリの鼓動は高鳴った。
フレンの複雑な鎧とは違って、ユーリの黒い服は帯を解けば半ば脱げたも同然。背に回されたフレンの手によってしゅるりと色を呼ぶ密やかな音を立てて帯が抜かれる。元からはだけて素肌も露わな胸元に熱い吐息を纏った唇を寄せられればそれだけで足先から頭の天辺にまで甘い痺れが駆け抜けた。
「寒いの?ユーリ……」
ぽつぽつと小さく粟立つユーリの肌にフレンが仄かに笑う。寒気によるものなのか快感によるものなのかくらい分かっているだろうに。
「寒いよ。すっげー寒い」
袖から腕を抜くのももどかしく、ユーリはフレンの首の後ろに回した手を半ば強引に引き寄せた。
テントの内側に映し出される二人の影がひとつの大きな塊になる。圧し掛かられるまま、引かれるままに薄っぺらな毛布を下敷きに身を投げ出したユーリとフレンの啄ばむようなキスは深く衝動的なものに変わっていた。ただ自分の欲だけを満たそうとするような、ひどく動物的な交わり。
背に触れる毛布の砂っぽいざらざらとした感触が獣じみた本能を刺激する。素肌を移ろうフレンの手が性急に腹と下衣の隙間に差し込まれても、ユーリは拒むどころか自ら腰を浮かせてそれを取り払う手助けをしていた。
夜気の冷たさはすでに感じない。長らく他人に触れられることのなかった無防備な場所をフレンの指先が辿るたびに身体が熱く火照っていく。
自分では触れようと考えることもない際どい場所を指の腹で強く押され、思わず零れた短い悲鳴は壁に反響することなく狭い空間から抜け出していった。いくら騎士団仕様の丈夫なテントとはいえ所詮は布地。鋭い声は簡単に外に漏れてしまうのだろう。
ユーリは強く奥歯を噛み締めた。まだ核心には指先すら触れられていないというのにこの有り様ではこの先も声を殺し続ける自信はないに等しい。
だからと言ってここで止めるつもりは更々なかった。同じく止めるつもりのないフレンの手は優しく、だが一切の容赦もなくユーリを追い詰めていく。
風が強い。時折一際強く吹き付ける砂を孕んだ風がテントにぶつかりバタバタと派手な音を立てる。その音に隠れるように出来得る限り押し殺した声を少しずつ抜いていくのにも限界を感じ、ユーリは口元に押し当てた手の甲に歯を立てた。
「ユーリ、そんなに強く噛んじゃ駄目だよ、傷が付く……」
だがフレンはあっさりとユーリの手を引き剥がす。血が滲む一歩手前まで強く噛まれ、くっきりと赤い歯型の刻まれた手の甲を癒そうとするように優しく舐めた柔らかな舌先は、次いで薄く開いたまま不規則に震える吐息を零す唇に這わされた。
右から左へ、なめらかに唇を滑る舌先がするりと唇を割って口内に忍び込む。
「んん……っ!」
雷に打たれたように、意思を無視してユーリの全身が大きく跳ね上がった。くぐもった悲鳴は唇を通してフレンの口内に吸い込まれる。
周囲ばかりを丹念に解され、愛撫に飢えていた核心にフレンの五指が絡んでいた。奥深くから快楽を引き出すような五本の指それぞれの刺激に、制御の利かなくなったからくり人形のようにユーリの身体が跳ねる。
「ん……んっ……は……ぁっ」
零れる濡れた声はことごとくフレンの喉の奥に消えた。巧みに息継ぎのタイミングを与えられ息苦しさが快楽を上回ることもない。
追い上げられるごとに溢れ出す雫がフレンの指に絡み、手の動きに合わせてひたひたと下方から密やかな水音が立ってももはや羞恥は感じなかった。恥ずかしいとかみっともないとか、そんな感情は今この場では邪魔なだけだ。中で何をしているのか明らかな湿った声が外に漏れ聞こえていようと、そんなことはもうどうでもよくなっていた。
ただすぐ側にある熱に夢中になっていたい。今この時だけは正義だとか選んだ道だとか、そんなものは全て忘れていたい。世界の危機さえ意識の外に追いやった。
「ユーリ……」
耳のすぐ横で名を呼ばれる。薄く開いた視界の中で仄かに上気したフレンの整った相貌が揺らいでいた。
「ん……」
続く言葉はなくても名を呼ばれた意味を理解してユーリは頷く。膝を折り上げて浮かせたユーリの腰の下にフレンは折り畳んだ毛布を差し込んだ。
「背中、痛くない?」
そんなふうに問われて、こんな時だというのにユーリは思わず笑ってしまう。
「……ばーか、今痛がってどうすんだよ」
これからしようとしている行為を思えば今痛がっていては次に進めない。細やかな気遣いはフレンらしくて結構なことだが紳士的なのも時と場合によるというものだろう。
「大丈夫だよ、そんなにヤワじゃねぇって」
「ヤワだとか頑丈だとかそういうことが言いたいんじゃなくて、僕はユーリに痛い思いとかつらい思いをさせたくないんだよ」
どこまでも真剣なフレンに気が抜ける。このままフレンとの問答に付き合っていたらせっかく上がった気分と体温が平常値に戻ってしまいそうだった。
真上から見おろすフレンの両頬を手で挟み、ぐいと引き寄せて唇を合わせる。その手をきれいな筋肉に覆われた背に回してさらに深く抱き寄せて耳元に口を押し当てた。
「いいからさっさと続きをやれっての。ここでごちゃごちゃ言い合ってる方がオレにはつらい」
砂漠の夜の冷気は火照った身体を急速に冷やしていく。このまま放っておくつもりならせっかく脱がせた服を着込んでしまうぞと耳の奥に吹き込むように囁くと、ようやくユーリの切迫した状況を正しく理解したのか、フレンは少し照れくさそうに、それでも嬉しそうに笑って見せた。
人によってはデレデレと鼻の下を伸ばしているように見える状況なのだろうけれど、こんな時でさえ爽やかな印象が前面に押し出されてくるのはフレンの人徳というより他はない。
そのまま泣いている赤ん坊を宥めにいっても問題のなさそうな優しげな微笑を浮かべたまま、フレンはユーリの折り上げた膝の内側に手を添えてそっと外側に押し広げた。
少し熱の引いた柔らかな場所を片手でやわやわと愛撫しながら、空いた片手で傍らに放り出した荷物入れを探る。取り出したのは小さな薬の容器。治癒術を使うほどでもない軽い傷に塗る軟膏だ。本来の用途とは違うけれど、今この場での使用目的は明白だった。
どんな時でも、何事においてもフレンは馬鹿が付くほどに生真面目なフレンは指先で掬い取った軟膏を直接ユーリの肌に塗り付けるような唐突なことはしない。一旦自分の手の平で体温に馴染ませてから、温んだそれをたっぷりと纏わせた指をユーリの開いた両脚の奥へと忍ばせた。
「は……あ……ぁっ」
今はまだ固く閉じたそこを温い粘液の絡んだ指先が明確な意図を持って丹念に撫で、擦り、刺激する。人の、自分の指すら滅多に触れることのない場所への愛撫にざわざわと肌が粟立った。
だがしばらく経つと次第にくすぐったさの奥に仄かに別の感覚が芽生え始める。身体の緊張が解れ、抜く息に合わせて強張りが緩むのを見計らい、僅かに力の込められた指先が無意識の反射的な抵抗などものともせずにするりと内側に滑り込んだ。
痛みはない。だがまだその感覚は快感にはほど遠く、違和感ばかりが先に立つ。ゆっくりと抜き挿しが繰り返され、時折鉤に折れた指先が中を探る。
「……ん……んん……っ」
やはり痛みはないものの、快感の糸口もまだ掴めない。
それなのにやけにもどかしい。物足りない。意図的に聞かせようとしているのか、指の動きに連動して下方から立つ湿った音が飢餓感を煽っていた。
「ん……ふっ……んん……っ」
物足りなさが限界に達し、羞恥も何も押し遣ってさらなる刺激を求めて口を開きかけたユーリの身体が跳ねる。零れかけた声は咄嗟に唇を塞いだフレンの喉の奥に消えた。
増した圧迫感と、より明確にユーリを追い上げようとする速い抽挿。
縋る場所を求めて勝手に両手足が暴れる。敷物代わりの毛布を手の甲や爪先が掻くたびにざらりとした砂の感触が触れ、それが鋭敏になったユーリの肌をさらに刺激した。
「は……ぁ……っ!!」
唐突に足先から頭の頂点へ衝撃が突き抜け、感電したように全身がびくりと大きく跳ね上がる。あまりの衝撃に声もろくに出せない。開いた口から零れたのは喉の奥で引っ掛かったような上擦った呼吸音だけだった。
本当ならここまで深く探るまでもなくフレンはユーリの「その場所」を知っている。それなのにそこに至るまでの丁寧すぎるほど丁寧な愛撫に、理性や忍耐力はすでに崩壊寸前だった。ユーリのこんな姿を知らない者達が抱いているだろう「ユーリらしさ」など欠片もない。
「んっ、あ……も、もう……いい……っ」
衝撃が走るたびに全身を強張らせながら、ユーリは意識の底に貼り付いている理性をかなぐり捨て、波のように押し寄せる疼きに逆らわず、毛布を握り締めていた手をフレンへと伸ばした。妥協するようなことを言いつつも外で緊急事態が発生すれば出ていくつもりだったのか、結局は前を僅かに寛げただけのフレンのパンツの腰部分に引っ掻くように指先を掛ける。
指の刺激だけではもう物足りなくなっていた。指では届かない、もっと奥深くへの刺激を身体が求めていた。
「……もう大丈夫?」
伸ばしたユーリの手を自身の手で包み込み、顔の前に引き寄せて唇を落としながらフレンが問う。がくがくと小刻みに頷くユーリの頭を胸元に抱き寄せ額に口付けたフレンは、宥めるようにそっと髪を撫でながら奥深くに埋めた指をゆっくりと引き抜いた。指を含んで熱を持っていたそこに夜の外気が事のほか冷たく触れ、心細さにも似た頼りない感情を覚え、ユーリは薄く開いた視界にフレンの姿を探した。
ユーリの視線に気付いたフレンが微笑む。ここにいると自分の存在を伝えるように額や頬、唇に繰り返しキスを落とすフレンの身体がより深く胸元を合わせて覆い被さった。膝を押し上げられ、ユーリの腰が敷物から浮く。
指が離れ、物寂しさを覚え始めていた後孔に熱い昂ぶりが宛がわれ、甘い期待に胸が早い鼓動を刻み、四肢が震えた。
「う……ぁっ」
「……く……っ」
指とは比べ物にならない圧倒的な質量に瞬間ユーリの身体は硬直し、フレンが小さく呻く。だがすぐに吐息と共に強張りの解けたそこは柔らかくフレンを受け入れ始めた。
砂を含んだ風が厚いテントの布地にぶつかっては散っていく。風の向きは一定ではない。激しく吹き荒んでいるかと思えば突然ぱたりと止んだりする。ふたつの呼吸は風の音に半ば隠された。
不用意に高い声を上げないよう、フレンはゆっくりと身を沈めていく。狂おしいほど慎重に施される愛撫に、ユーリの心身はもはや完全にコントロールを失っていた。
揺らぐユーリの腰にフレンの手が添えられる。いくらユーリが細身とは言え、大の男の半身を易々と引き上げたフレンは、最後の最後まで開いていた互いの隙間を埋めようとするように、肌を合わせて一息に最も奥深い場所へと身を沈めた。
厳しく追い詰めるような激しさはなく、心地良く昇り詰めていくようにゆったりと揺すり上げられ、ユーリは堪えようもなく感じ入った甘く蕩けた声と吐息を零しながら妖艶に背を反らせた。深くフレンに身を寄せ、足りない刺激を補うように自らも身を揺する。
全身を巡る感覚も想いも、何もかもがフレンに向いていた。それ以外のものは全て形を失い周囲に溶ける。
「ん……あぁ……あっ……」
やがてその時は訪れた。
意識が白く発光する。眩い光は無数の極彩色の蝶へと姿を変えて一斉に舞い上がった。幾千、幾万の羽音を聞く。
高く声を上げたのか、堪えたのか、自分自身でも分からないまま喉の奥を震わせる。極限まで引き絞った弓のようにユーリの身体が強く張り詰めた。
「……はぁ……ぁ……」
一瞬の後に全てを解き放ち、一変して張りを失った全身が砂粒が背を掻く毛布に沈んでいくのを感じながら、ユーリは滲む視界にフレンの姿を探す。
「んっ、は……ぁっ!」
端正な顔に情欲を滲ませ、本能も露わに腹を震わせてユーリの中に熱を放ったフレンにユーリは微笑んだ。荒い息を吐くフレンの背を引き寄せ、激しく上下する肩に頬を寄せる。
「……ユーリ、平気……?」
「ん……」
どれだけ乱れに乱れても結局はどこまでも紳士的なフレンの気遣いに、甘い心地のままユーリは仄かに笑った。伸ばされたフレンの指とユーリの頬の間で細かな砂の粒子がざらりと鳴り、少しずつ戻ってくる周囲の感覚に、今この場所が夜の砂漠の街の片隅であることを思い出す。
だが束の間鮮明になった意識は、瞬く間にまどろみの奥へと引き込まれていく。胸の上に掛かるフレンの重みも、時を同じくして少しずつその重みを増していた。
テントの厚い布地の向こうで、夜の砂漠の強い風が吹き抜ける。
さらさらと流れる砂の音は、もうユーリとフレンの耳には届いていなかった。
翌朝、日が昇る前に目を覚ましたユーリとフレンはそっと駐屯地を抜け出し、マンタイクの奥に豊かな水を湛えて広がるオアシスで体を洗い流した。いつの間にか髪の奥にまで砂が入り込んでいる。
まだ街も目を覚ます前の夜と朝の間。オアシスの水は冷たい。色濃く残る睦み合いの痕を清らかな水で洗い流しながら、互いに互いの気配を捉え、意識が重なり目が合えば手を休めてキスをする。殊更に言葉は必要なかった。
日が昇り始めた頃、使わせてもらったテントをそれと分かるような痕跡がないか入念に点検してから片付け、礼を述べて駐屯地を後にし、日が昇りきった頃に宿屋に宿泊した仲間達と合流する。
エステルとカロル以外の仲間達との間には顔を合わせた途端に奇妙な雰囲気が漂ったけれど、ユーリもフレンもそれには気付かないフリで普段通りに朝の挨拶を交わした。
「……あ……」
「どうしたの、ユーリ。忘れ物でもした?」
マンタイクを出て、ジュディスの呼び掛けに応じてはるか上空から降りてくるバウルを待つ間、小さなユーリの呟きを耳聡く聞き付けたカロルが無邪気に問う。
「あー……いや、何でもねえよ」
不思議そうにしつつもそれ以上問い詰めることはせず、カロルの興味はさっそく別に移っていた。
そんなカロルの向こうからフレンがじっとこちらを見ていることに気付く。昨夜無理をさせてしまったのではないかとユーリの身体を気遣っているのだろう。
「尻の辺りで砂がジャリっていった」
隣に並び、呟きの理由を明かしてユーリは小さく笑う。
一瞬きょとんとしたものの、すぐに言葉の意味を理解してフレンも笑った。
「僕も鎧の中が砂っぽくてざらざらするなぁって思ってた」
目を見交わし、笑い合う。ユーリとフレンだけが共有する昨夜の記憶。
「あなた達二人は砂漠でもう一泊したいのかしら?」
甘い記憶の交わりは空に浮かぶ船の甲板から降ってきたクリティア美女のやや呆れを含んだ声に遮られる。
昨夜の砂嵐が嘘のように晴れ渡り、風もなく熱気を篭もらせるコゴール砂漠の砂は、照り付ける陽光を弾き赤く輝いていた。
* * * * *
「……う……っ」
「あ……ああ、悪ぃ……」
小さなフレンの呻きにユーリの意識が現実へと引き戻される。
ユーリとフレンが共に砂漠の砂に触れた最後の日、意識が当時に辿り着いた瞬間、柔らかく潤んだ後孔が奥深く埋めたままのフレンをきゅっと強く締め付けていた。みるみる頬に赤味が差していくのをユーリは自覚する。
「思い出した?」
笑って問うフレンを「うるせぇ」と頬を赤らめたままユーリは睨んだ。
共有する甘い記憶に感化され、未だ深く繋がったままの身体の奥で互いの昂ぶりが互いの熱の燻る身体を甘く刺激する。フレンもまた眉根を寄せて身体を強張らせ、ぶり返した疼きをやり過ごそうとしていた。
しばらく二人してゆっくりとした呼吸を繰り返して昂ぶりが鎮まるのを待つ。
「……ふふ」
「なに思い出し笑いしてんだよ、スケベ」
ユーリの肩口に頬を寄せて小さく笑うフレンの柔らかな金色の髪に覆われた頭を指先で弾く。
「あの時のユーリはすごく色っぽかったなぁと思って。きゅっと眉を寄せて声を零さないように我慢して、その分すごく身体の反応は敏感で」
「……ドスケベ」
「お互い様、また締め付けがきつくなったよ」
「あ……っ、バカ、揺らすな!」
言葉の選び方もすぅと細めた青い瞳もユーリをからかうような腰の動きも、常のフレンらしくなく意地が悪い。
だがこんなフレンもユーリにとっては馴染み深い。ただただ紳士的なだけではないのがフレンという男なのだ。
「でもあの時オレちゃんと声我慢できてたのか?全然自信ねぇんだけど。途中からそんなことどうでもよくなってたし……」
フレンの仕種が欲情に任せて激しく翻弄するようなものではなく、ゆったりと穏やかなものだったのはぼんやりと記憶している。その分じわじわと追い上げられていく感覚はいつにも増して甘く深かったような記憶もあった。
「そこはまぁ、風が強く吹く瞬間を見計らうとか、風の向きを考えるとか色々と工夫を」
「おまえあの状況でそこまで考えてたのかよ。……ったく、余裕だな」
確かにあの時、夜明けにユーリとフレンを見送った隊員達に奇妙な様子はなかったし、その後二人の仲が噂になることもなかった。真実だろうが嘘だろうが話題にならないなら自ら暴露する必要もないので気にも留めていなかったが、そこにフレンの多大な苦労があったのだと思うと何やらえも言われぬものを感じる。ユーリ自身は記憶が曖昧なほどに溺れていたからなおさらに。
「ん……っ、ユーリ、また……」
ぴくりと背を震わせ、余裕に満ちた表情を変えてフレンが小さく呻く。
意図して深く穿たれたままの下肢の締め付けを強めたユーリはフレンの素直な反応に口元を綻ばせた。刺激に耐えようと僅かに寄せられた眉と眉の間に滲む憂いが艶っぽい。
「なぁ、フレン……」
背に腕を回し、膝でフレンの脇腹を撫で上げる。一度極みへと昇り詰め、弾け、落ち着きを取り戻した身体の芯には再び仄かな熱が点り始めていた。意図して締め付けた奥が芽吹いた小さな熱に煽られ、意思とは無関係に温度を高めていく。
「ここだったらなおさら心配要らないんだろ?」
ここはザーフィアス城の騎士団長の部屋。下町のユーリの下宿や、ましてや布地のテントのような頼りない造りではなく広さもあれば壁も厚い。
叫べば外に漏れ聞こえるだろうが少々声を上げるくらいは問題ない。事実、ここでの行為でユーリは声の心配をしたことはなかった。
「そうだね」
深く寄り添うフレンの身体もまた仄かな兆候を見せつつある。
これほど側にいて、これほど近くに声を聞き、吐息を感じて、いつまでも平静でいられるユーリとフレンではなかった。
「あの時我慢した分の声、これから出そうか」
「……なんだよその台詞、スケベ親父くせぇ」
「はは、確かに。でもスケベはお互い様だってば」
くすくすと笑い合いながら、小鳥のたわむれのように唇と唇を弾ませ合う。身体の奥はどんどん熱を上げていく。お互いに自制はしない。
早くも心身のコントロールを失いつつあるユーリは掻き抱くようにフレンを引き寄せ、背を反らし、腰を揺らしてフレンの熱を貪る。
上質のシーツが擦れ合う涼やかな衣擦れに荒い息遣いと濡れた声が重なった。
想いの向くままに声を上げ、シーツの上を滑るユーリの手にざらりとした異質な砂の感触が触れる。
みるみる高みへと追い上げられていく意識の中で、ユーリは遠く砂を含んだ砂漠の風の音を聞いた。
END
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