上手な暑さの凌ぎ方
帝都ザーフィアス。程近くに海を臨むマイオキア平原は一年を通して比較的温暖な土地柄だが、今年の夏は異常に暑い。
先の星喰み騒動によって世界から魔導器が消え、温度や湿度を調整する空調魔導器も当然その機能を失い人工的に涼を取る術を失くしたせいかもしれないし、魔導器に代わって世界に生み出された「精霊」という新たな力の存在によるものなのかもしれないが、理由はともかくとにかく暑い。
照りつける陽光に熱せられ、ゆらゆらと陽炎を立ち昇らせる下町の石畳の道を時折額に滲む汗を拭いつつフレンは俯き加減に歩いていた。一刻も早く日陰に逃げ込みたいのは山々だが、この猛暑の中を走る気には到底なれない。
任務だと割り切れば気も引き締まり頭の中も切り替わって、たとえ熱風吹き荒ぶ砂漠であってもがっちりと鎧を着込んで作業をするのにも耐えられるが、課せられた使命もなければ一度でも「暑い」と思ったが最後、止めよう止めようと思っても頭の中は「あつい」の三文字で満たされた。
昼日中のもっとも暑さの厳しい時間帯だからか表に人の姿はあまり見られない。普段は元気な子供達もさすがにこの陽射しの中を走り回る気力はないらしい。
やがて石畳の先に馴染んだ酒場兼宿屋の建物が見えてくる。二階に目を遣ると、数日前まではぴたりと閉じられていた窓が大きく開かれていた。一体どこで何をしているのやら、世界各地あちらこちらでの目撃談には事欠かない幼馴染みが故郷に帰ってきているのだ。
酒場の玄関前を通り過ぎ、建物の横に設えられた階段を上がる。建物の前に水路が通っているからかむっとする熱風の中にも案外ひやりと冷たい風が混ざっている。窓を開ければ心地良い冷気が入り込んでくるだろう。
階段を登り切り、奥へと伸びる廊下の一番手前、帝都での幼馴染みの住まいである部屋の扉も水路に面した窓同様に風を通すために大きく開け放たれていた。
「おかえり、ユーリ」
訪ねてきた側が言うにはいささか不適切な言葉と共に、開け放たれた扉をコンコンと叩きながらフレンは室内に顔を覗かせる。
「……おー……ただいま……」
こちらもまた迎え入れる側が言うには不適切な言葉だ。その上まったくやる気も覇気もないその声は寝台の上から。
「ちょっとユーリ、なんて格好だい?だらしない」
「……あー?説教しに来ただけなら帰れ、鬱陶しい」
いかにも暑さで苛々していますと言わんばかりに声のトーンが落ちたユーリは長い黒髪を無造作に散らして寝台に仰向けに転がっていた。汗で湿った頬や首筋に数本の髪が貼り付いている。
いつも胸元から素肌を覗かせている上着は帯が解かれて完全に肌蹴られ、胸元のみならず腹まで露わだ。日焼けしない性質らしく、この炎天下でも相変わらず肌は白い。
ブーツを脱いで寝台の端から床に落とした両足は膝の上までズボンの裾が折り上げられ、床に置いた水を張った盥の中で素足がゆらゆらと泳いでいた。
「ひどいな、帰ってるって聞いたから会いに来たのに」
「……エステルから聞いたのか?つーか、お仕事はいいのかよ、騎士団長閣下」
「君が戻ってると聞いてヨーデル様が今日明日と休暇を下さった。積もる話もあるだろうからって」
「……ほー……相変わらず粋なコトをして下さるなぁ、皇帝陛下殿は……」
言葉を交わす間、ユーリは一切身動きをしていない。何事においても我慢強く音を上げることの少ないユーリだがこの暑さには敵わないらしい。
顔を動かすのも億劫そうに目だけをのらりくらりと横に流してようやくユーリがフレンを見る。熱い息を逃がすように緩く開いた唇と相まって、流し目にも似たその仕種に思いがけず色香を感じたのは内緒だ。首筋に濡れた髪を貼り付かせた姿は密やかな行為を思い出させる。
「……さすがに非番の日は鎧じゃないんだな。でも任務だとこんなクソ暑い中でもアレ着てんだろ?拷問だよな……」
「肌が露出している方が危険なことが多いからね」
「……それにしたってアレはなぁ……。この炎天下だったらお前の鎧の肩んトコ、生卵落としたら目玉焼き作れんじゃねぇの?」
「実験してみる?持ってこようか?」
「……いらねー……」
実際の会話には色香の「い」の字もない。実のところ、こうして顔を合わせるのは随分と久しぶりのことなのだが、ユーリにとっては再会の喜びよりも暑さの方が勝っているようだった。その上、「お前が入ってきただけで部屋の温度が上がった気がする」と仏頂面で言われれば遠回しに「寄るな」と言われているようで、フレンとしては迂闊に歩み寄れもしない。
「珍しいね、ユーリがここまでバテてるなんて」
あまりにも暑さ負けしているユーリに思わず笑いが込み上げてくる。フレン自身暑さにバテ気味だったけれど、それ以上にバテているユーリを見れば案外自分はまだ元気なのではないかと思えてきた。
扉も窓も開け放った室内には水路で冷やされた涼しい風も吹き込んでくる。フレンにはそれを感じ取れるくらいの余裕が生まれていた。
「……あー……なんでだろうな、やけに暑さが堪えるわ……ゾフェル氷刃海のでっかい氷の塊が欲しい、あれに抱き付きてぇ……」
「久しぶりに会えたっていうのに、その僕の前で僕以外に抱き付きたいなんて言ってくれるね」
「……何度も言ってんだろ、お前体温高いんだよ。冬になったら抱き付きに来てやるよ……」
少し思わせぶりなことを言ってみてもこの対応だ。ここまで徹底されるといっそのこと清々しささえ覚える。
城から下町に下りてくる途中で買い求めた土産の袋を手に、様子を見つつフレンは起き上がる気配のないユーリの傍らに歩み寄った。土産に買ってきたのは店主に選んでもらったなるべく水分の多いよく熟した果物を数種類で、持ち帰る間に少しでも冷えるよう袋の中に氷を一緒に入れておいてもらった。
「氷刃海の氷には及ばないけど」
果物だけを取り出して傍らの机に起き、袋に残った溶けて半分ほどの大きさになってしまった氷をユーリが足を突っ込んでいる盥にコロコロと移し入れる。ついでに袋に滲んだ溶けた氷の水も絞り入れた。
「おおー冷てぇ、いい感じいい感じ!」
ようやく今日一番に機嫌の良いユーリの声を聞く。上半身は仰向けに寝転がったまま、子供のように盥の中で足をばたつかせるユーリの横に寄りすぎないように人一人分の間を空けて座り、フレンはうっすらと汗のにじむユーリの額にそっと手を伸ばした。
「暑さが堪えるのは疲れてるからじゃないのかい?」
星喰みを討ち、テルカ・リュミレースが魔導器のない新しい世界へと生まれ変わってから、共に戦った仲間達はそれぞれの場所でそれぞれの出来る範囲で混乱の中にある世界の立て直しに力を尽くしている。
ユーリはあまり多くを語らない。だが少なくとも数日前までは隣の大陸、ギルドの巣窟の異名を持つダングレストの街にいたはずだ。今や帝国騎士団とギルドの橋渡し役となったかつての隊長主席、シュバーン改めレイヴンからそう聞いている。
そのユーリが昨日の時点でハルルのエステリーゼの元を訪れており、今日の午前中には彼女と共にここザーフィアスに帰って来ていた。この暑さの中を短い単位の日数で街から街へ移動しているということになる。その行動力は感服に値するが、本当に皆に黙って一体何をしているのやら。
「お前に言われたくねぇよ。ヨーデルがお前を休ませたのだって同じ理由だろ。オレとの積もる話がどうのってのは単なるダシだ」
暑い寄るなと言っていたくせに触れたフレンの手にユーリは気持ち良さそうに目を細める。氷を触って冷えているからか。
フレンの頬にすぅと伸ばされたユーリの手が触れる。互いに汗を含んで湿った肌はしっとりと吸いつくようだった。
「……なぁ、フレン……」
フレンの肌が火照っているからか、ひやりと冷たく感じられるユーリの指先が頬を滑り、耳朶の下を掠めて首の後に回される。引き寄せようとする力に抗わず、ゆっくりとフレンは上体をユーリの方へと倒した。
「じっとしてても暑いなら……いっそのこともっと暑くなるようなコトしねぇ?逆に涼しくなるかも……」
薄く開いた唇から覗く潤んだ舌は真っ赤に熟れた果実のようだった。急激に喉の渇きを覚える。
今までまったくそんな気配はなかったのにどこでどうやってスイッチが入ったのか、瞬きの間に二人して箍が外れたように互いの虜になっていた。異常なまでの暑さのせいかもしれない。
貪るように舌を絡め合う。理性は簡単に溶け崩れていった。
「……ユーリ……せめて扉は閉めよう……」
「いいだろ、こんな暑い時に誰も来ねぇって……」
「良くないよ」
らしくないユーリの性急さを咎めるどころか逆に腹の底の欲望を沸き立たせながら、それでも何とかなけなしの理性を振り絞って折り重なる身体を起こしてベッドを下りる。
熱風と共に涼やかな風も通す扉を閉ざし、秘め事の始まりを告げる錠を下ろす音が密やかに落ちれば、室内には昼日中には不釣り合いな淫靡な気配が満ちた。
勢いに任せて理性を完全に手離す前に別の行動を挟めば少しは落ち着くかもしれない。そう思っていたフレンは自分の欲望の深さに対する認識の甘さを思い知った。落ち着くどころか飢餓感が増している。
寝台に身を起こし、焦れたような眼差しでフレンの戻りを待つユーリは妖しく匂い立つようだった。窓から射し込む強い日差しは定規を使ってくっきりと線を引いたように光と影を明確に区切る。影になった寝台の上でユーリの肌蹴た上着の下から覗く肌と水滴を弾く膝から下の素足は艶めかしいまでに白く浮かび上がって見えた。
「……お前……結構焦らすの好きだよな……」
手が届く範囲まで戻った途端、驚くほどの力で腕を引かれ、目眩でも起こしたのかと思うほどに視界が反転するのを感じたフレンは、次の瞬間には真上にユーリの顔を見ていた。ユーリの肩の向こうには見慣れた天井が見える。
「物欲しそうな顔してるオレを見るのはそんなに楽しいかよ」
「……そんなふうに思ったことはないよ」
ユーリの声はフレンを詰るようなものではなく、単に状況を楽しんでいるふうだった。腹を跨いだ両脚の膝で脇を挟み、肘で肩を抑え込む。頭を押さえ付けるように両手で髪をかき上げ、滲んだ汗などお構いなしに額といわず頬といわず、奔放に舌や唇を這わせた。
こうしてフレンがユーリに組み敷かれるのはさほど珍しいことではない。仰向けに転がされて足を開かれるのが嫌だとか上に立って相手を見下ろしたいとか、そういう類の優勢劣勢を気にしているわけではなく、単純に好き勝手にできるこの体勢がユーリには好ましいようだった。
自由奔放なユーリらしい。他での頑固さや意志の強さを思えばユーリは案外この手の快楽には素直なので、夢中になってしまえば体勢など後からどうとでも変えられる。元々ユーリの望みで始めたことだし、今は好きなようにさせてやろうとフレンは肌を伝うユーリの熱に従順に身を委ねた。
「……やっぱ熱いな……お前の体……」
すっかり衣服を取り払い、長く艶やかな黒髪が申し訳程度に肩に掛かるだけのユーリの白い肢体がフレンの上で揺らぐ。
好きなようにさせてやろうとした結果、好きなように好きなだけ触れられ、触れさせられ、当初の目的通りに夏の暑さは忘れがちになったものの、別の意味でフレンもユーリも燃えるように全身が火照っていた。
「ユーリこそ……」
ほんのりと朱色に色付くしなやかな身体を見上げ、下から突き上げるように身体を揺する。すでに何度か昇り詰めてなお貪欲に快感を拾い上げ、白い喉を露わにユーリは甘い吐息を零した。するりと胸元を伝い落ちた一筋の汗の雫に無意識に手を伸ばして指先で掬う。
ただそれだけの指の動きにさえ過敏に反応を示して震えたユーリは、とうとう力尽きたのか芯を失くした汗ばんだ上体をくたりとフレンの上に倒した。湿った黒髪がフレンの肌にも纏い付く。
「……あー……もう無理……お前に乗っかられると暑いから乗っかってたけどもう動けねー……」
「……なにそれ……そういう理由……?」
普通なら今までの行為を全て台無しにするようなユーリの一言だが、フレンとユーリの間ではこの手のやりとりもさほど珍しいことではない。ユーリの至極満足そうな潤んだ目や、どこに触れても過敏に跳ねる肌を見れば何も無駄になっていないのは一目瞭然だ。
「あと頼むわ」
あまりにも悪気のない顔でユーリが笑う。さらには「チュッ」とわざとらしいほどに可愛らしい音を立てて唇を合わせられ、呆れるのも忘れてフレンは子供にするように肩口に乗るユーリの頭を撫でていた。
呆れるとすれば自分自身に対してだ。普通に考えれば自分勝手な酷い仕打ちと言っても差し支えないこの状況で、フレンの胸を満たしているのは馬鹿馬鹿しいまでのまぎれもない愛しさだった。
尋常ではない暑さは人の思考回路を少々厄介な形に操作してしまうらしい。
「……まったく……」
深い繋がりが解けないように腰を引き寄せながら体勢を入れ替える。暑いだの何だのと言うわりに、覆い被さるフレンの背に積極的に腕を絡めたユーリは満足そうに、かつ挑発的な笑みを見せた。
特段腹は立たないが、そっちがその気ならユーリにはとことんまで暑くなってもらおう。加減などしてやるものか。
従順な肢体は膝を胸に付くほどに折り上げ大きく左右に開いても一切の抵抗を見せない。長く留まりすぎて境界が曖昧になった腰を引き、間を置かずに再び深く突き上げる。甘く鋭い吐息混じりの声と使い込んだ寝台の脚が立てる軋みが重なった。
「あ……つい……っ……あつい……」
艶やかな吐息の合間にユーリは何度も「あつい」と繰り返す。
相変わらず窓から差し込む陽射しは強い。夏になるとどこからともなく這い出して来る虫がけたたましく鳴いていた。
フレンの下で、フレンの動きに合わせて揺れる白い肌には汗の雫が点々と散っている。ユーリ自身のものなのか、フレンの肌から滴り落ちたものなのかはもう分からない。
「あ……あぁ……っ」
一際甘い声と共に、覆い被さるフレンの身体を押し上げる勢いでユーリの身体が柔軟に撓る。同時にさらに深く繋がろうとするように強く下肢を絞り込まれ、フレンもまた自然に零れる吐息と共に抑え込んでいた昂ぶりを解き放った。日陰から急に陽光の下に飛び出したように視界が、頭の中まで真っ白に染まる。
緊張と弛緩。ほんの僅かな間に頂点と底を味わい、糸が切れた人形のようにフレンは同じく人形のように身を投げ出すユーリの上に折り重なった。
「……あつい……」
心地良い夢を見ている時の寝言のように、ぽつりと甘くユーリが呟く。
窓から射し込む夏の日差しは夕刻の訪れを告げ、ほんのりと赤味を含み始めていた。
* * * * *
「あ……っつい……!」
「いた……っ!?」
唐突に腹への衝撃と共にうつ伏せたままの体が跳ね飛ばされ、痛みと言うよりは驚きにフレンは声を上げた。
どれくらい意識を飛ばしていたのか、時間の感覚がない。頭の中まで溶かしそうな熱は引いているものの、他の感覚が勝って忘れがちだった季節による暑さを思い出しつつあるのが分かる。だが夕暮れの近付きと共に部屋の中を明確に光と影に区切っていた陽射しはほんの少しその力を弱め、境界をぼかして部屋の中を朱色に染めていた。
「やっぱ暑さで暑さなんか誤魔化せねぇ!お前暑苦しい!」
先刻までの妖しい色香はどこへやら、朦朧として覆い被さったままだったフレンを跳ね飛ばしたユーリは行為の痕跡をたっぷり残した裸体のまま、駄々をこねる子供のように手足をばたつかせそうな勢いで悪態をつく。同じ「あつい」という一言でも今現在の「暑い」と先程までの「熱い」では随分とニュアンスが変わるものだ。
「僕だけのせいじゃないだろ。なに癇癪起こしてるの、自分で始めたくせに。暴れると余計に暑くなるよ」
「……腹立つなー……なんでお前そんなに涼しげなんだよ、汗だくのくせに」
「ユーリみたいにむやみやたらと暑い暑いって言わないからだよ」
事実、容赦なく照りつけていた太陽はフレンが訪ねてきた時よりもその勢いを弱め、吹き込む風も余裕を持って感じれば随分涼しくなっている。暑くないとは言わないが、要は気の持ち様ひとつということだ。
釈然としないと大きく顔に書きつつも暴れると余計に暑くなるというフレンの言葉には賛成らしく、ユーリは大人しく寝台に身を投げ出す。とりあえず裸身を隠そうという気はないらしい。
迂闊に近寄ればまた暑いと言われそうなので、追い出されるままにフレンは寝台を離れ、反対側の壁に寄せたテーブルへと足を向ける。これだけ汗まみれでは脱ぎ捨てた服を着込む気にはなれず、結局人の目がないのを幸いにフレンも素っ裸のままだ。裸身を惜し気もなく晒し、豪快に大の字に横たわるユーリをはしたないとは叱れない。
テーブルに置いた土産の果実を手に取る。氷で冷やしながら持ち帰ったそれはすっかり温くなっていた。
「まだ傷んではいないな」
よく熟していたので短時間でもこの暑さの中でやられてしまったのではないかと心配したけれど、まだ張りのある表皮はフレンの指を瑞々しく押し返す。
「冷やし直してる間に僕らも汗を流して、さっぱりして落ち着いたら一緒に食べよう。陽が落ちたらきっともう少し涼しくなるよ」
「……あー?」
フレンが部屋を訪ねて来て以来、ほとんど顔も上げずに転がっていたユーリはフレンが何のことを言っているのか分からなかったらしく、のろのろと億劫そうに身を起こしてフレンの方に顔を向けた。
その顔がふと茜に染まりつつある陽の射し込む窓へと向けられ、鬱陶しそうに半分瞼の落ちていた目がすぅと心地良さそうに細められる。
「……ホントだ、結構いい風入ってくんのな」
汗を吸い、しっとりと頬のラインに沿って落ちる黒髪が微かな風を受けて揺らいだ。耳を澄ませば外の水路を流れる水の涼やかな音も聞こえてくる。
異常な暑さで、正確には積もり積もった疲労のせいでより異常に感じる暑さのせいで苛々と神経を尖らせていたユーリも、ようやく少し本来の落ち着きを取り戻したようだった。
「フレン」
大の字の仰向けから反転して腹這いになったユーリがフレンを手招き、ぽんぽんとベッドの端を叩いて見せる。「こっちに来い」ということらしい。
「暑いんじゃないのかい?」
「大丈夫、へーきへーき」
つい先程までの仕打ちはどこへやら、ユーリは上機嫌だ。
だがたまにはこんなユーリも良い。皮肉屋やぶっきらぼうを装い、自ら憎まれ役を買って出たがるユーリだが、本来は誰よりも気遣い屋で本心を表に出すことのないユーリがどんな形であれ本音をさらけ出して甘えたり暴れたりするのはフレンに対してだけなのだ。あの程度の扱いくらい大らかに受け止められなくては「親友」などと大口は叩けない。
招かれてベッドの脇まで戻ったフレンは、ユーリが叩いて示した寝台の端ではなくその真下の床に腰を下ろした。素っ裸なので直接尻を床に付けることになるがこの方がユーリとの顔が近い。
「休暇、明日までだっけ?」
「うん」
ユーリも顔の近さに気を良くしたのか、もぞもぞと動いてさらに顔を寄せてくる。互いがあと少し姿勢を変えれば唇も重ねられる近さだ。
唇を合わせる楽しみはもう少し後に取っておこうというように、ユーリは顎を反らし気味にユーリを見るフレンの前髪を指先にくるくると巻き付けて遊び始める。
「帰ってきて良かった」
「……ん?」
「最近やけに暑いだろ?疲れが溜まってる自覚はあったし、正直移動すんのも面倒で今回はエステルに付き合ってザーフィアスに戻ってくんのは止めにしようかなと思ってたんだ。移動するならどっか少しでも涼しいトコ行ってちょっと体休めようかなーって」
問い返したフレンにユーリは少し照れくさそうに今回の帰省の経緯を話して聞かせる。今までのキレっぷりが相当なものだっただけに、一変して素直なユーリが倍増しで愛おしい。
「でもさ、どこ行ったって結局暑いなら下町がいいかなって。お前まで戻って来るとは思わなかったけどさ。そりゃちょっとくらい時間が合えばなーとは思わないでもなかったけどお前いっつも忙しそうにしてるし、まさか休暇貰ってくるとは思わないだろ」
本当にヨーデルにはいくら感謝してもし足りない。彼には何度こんなふうにユーリとの逢瀬の都合を付けてもらっているだろう。そんな気遣いを受けるようになった初めの頃はそんなにも自分とユーリの関係は傍目にも一目瞭然だったのだろうかと内心で青褪めたものだが、大事に想って何が悪いと開き直ってしまえば人間というのは神経がどんどん太くなっていくものだ。
今回のことはエステリーゼの口添えもあったのだろう。彼女がいつもとは違うユーリに気付かないはずがない。それとなくヨーデルにユーリの様子を伝えてくれたに違いない。
何も言わずに送り出してくれる寛容な部下達にも感謝だ。おかげでこうして次なる活力の補充をさせてもらっている。少々の暑さくらい耐えられる。
「どうせどこ行ったって暑いならとことん暑ッ苦しいお前の隣がいいや」
白い歯を見せて屈託なく笑うユーリの顔は、夏も冬も朝も夜もなくこの下町一帯を駆け回っていた幼い頃のままだ。それはどれだけ互いが成長しようと、フレンだけが知っているユーリの素顔のひとつ。
くいと前髪を引かれ、反らした顎を更にもう少し反らしてフレンはユーリに顔を寄せる。すかさず瑞々しく熟れた果実のようにいつになく赤く色付いたユーリの唇が近付き、フレンのそれとしっとりと重なり合った。
甘い雰囲気の中、窓から緩く吹き込む風に仄かな汗の匂いが混じる。季節は真っ盛りの夏で、互いに水を被ったように全身汗だくなのだから仕方がない。
「あつい、な」
呟き、ユーリが笑う。フレンも笑う。
「冬になったら抱き付きに来てやる」というユーリの言質は取ってあるけれど、夕暮れを間近に控えてなお外では夏の虫が時を惜しむように喧しく鳴き続けていた。
寄り添う人肌の温かさが恋しくなる季節は、まだあともう少し先のことだ。
END
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