Light & Dark
金属の擦れ合う音が木の壁に囲まれた狭い部屋に籠もって響く。背後では衣擦れの音。
「あれ?これどうなってんだ?」
「大丈夫?手伝おうか?」
「駄目、まだこっち見んなよ。お、サンキュ、ラピード」
日没間際に辿り着いた街で宿を取り、食堂のテーブルを皆で囲んでの夕飯時。
同行の仲間にフレンが加わったことで、会話は自然にユーリの幼少時代や騎士団在籍時代についての内容が増えていた。ユーリは進んで自分のことを語るタイプではないので、片鱗は見えても謎の多いユーリの過去に口には出さなくても以前から仲間達は興味津々だったらしい。
フレンはフレンで散々ユーリが「融通の利かない石頭」と言っていたせいで植え付けられたイメージが強く、輝かしい肩書も手伝って当初は余所余所しい雰囲気だったものの、フレンが決して頭が固いだけの話の通じない相手ではないと分かるにつれ、多少の場違い感は残しつつも次第に馴染み、一番固かったカロルも今では気さくに語り合うまでになっていた。
今日も今日とて、あまりいい顔をしない本人を他所に、話題はユーリと騎士団に関するものになっている。ユーリはとにかく騎士団の鎧姿が似合わないのだと言ったのはカロルだった。
ユーリが皆の前で騎士団の鎧を身に付けたのは一度きり。ヘリオードの街で一般人は立ち入り禁止の労働者キャンプに忍び込もうとした時のことだ。労働者キャンプで行われていた悪事はともかく、指示に従い真面目に勤務する兵士を殴り倒して鎧を剥いだことに関してはフレンの眉が多少寄せられたものの、騎士団の鎧が似合わないという点に関してはフレンも賛成らしく、「似合わない」と散々笑い飛ばした過去を思い出してフレンも目元を和ませている。
「もしユーリが騎士団を辞めずに出世して隊長に昇格してたらフレンみたいな鎧を着てたってことだよね」
「絶対出世しないタイプだと思うけどね」
楽しそうなカロルの声に天才魔導士少女のクールな声が被った。
何を言ってもやっても藪蛇になりそううでユーリは黙って食事を続ける。フレンも聞かれたことには当たり障りなく応える程度で自ら口を開くことはない。
「ユーリの隊長姿が見てみたい!」
「はぁ?」
好奇心にキラキラと弾けるカロルの言葉にさすがのユーリも匙を置き、思わず尖った声を上げた。くるくると方向を変えるカロルの興味と思い付きは時々ユーリには付いて行けない。
「それ、わたしも興味あります」
そこに天真爛漫なお姫様が加勢すればますますユーリには手に負えなくなる。
大人の判断力を持った者までが面白がって子供の遊びに加担しなければいいがと思った時にはもう手遅れで、残る面々のユーリを見る目はすっかり状況を楽しむものになっていた。カロルに「ユーリに鎧を貸してあげてよ」と話を持ち掛けられているフレンがやや戸惑い気味なのがせめてもの救いだ。
「僕は別に構わないけど……」
ちらりとフレンが横目にユーリを見る。
ユーリが騎士団装束が苦手なのはかつてフレンに大爆笑されたことが大きな要因のひとつだ。今も戸惑いを湛えたフレンの青い瞳の奥には「絶対大爆笑する」という確信が滲んでいる。カロルとエステルの期待の眼差しはますます輝きを増していた。
だがここで一時期に事態を回避しても次に持ち越されるだけ。期待が膨らみすぎないうちにとっとと片付けてしまう方が得策だ。
「……分かったよ」
溜息と共に承諾したユーリに天真爛漫コンビは「やったね」と軽やかにハイタッチを交わす。
「その代わり、フレン、お前も道連れだからな」
「え?僕?」
「トレード」
目を丸くするフレンにユーリは大きく胸元を広げた黒い服の襟元を引っ張って見せた。フレンは露骨に嫌そうな顔をし、言い出しっぺのお子様二人も一瞬きょとんとした後に微妙な顔を見せる。
ユーリの出した交換条件ににやりと笑ったのは部外者然とした顔で遠巻きに見ていた大人組の方だった。
「なになに?フレンちゃんが青年の服着るの?」
「そっちの方が面白そうね」
「二人とも男前だから期待はできるのう、いろんな意味で」
「ま、どっちにしろ結果は分かり切ってるけどねー」
向けられるとは思っていなかった矛先を向けられ、無表情を装いつつおそらく頭の中では事態を回避する方法をめまぐるしく思考しているだろうフレンに、ユーリは問答無用で「立て」と顎をしゃくって見せる。大笑いされると分かっていて自分だけ安全な場所に避難していようなど言語道断、死なば諸共だ。
大方食事も片付いていたので、着替え終えるまで部屋に入るなと言い含めてユーリとフレンが部屋に籠もったのが数分前。お互いの姿も完成までは見ないと約束して背を向け合って着替えを始め、今に至るというわけだ。
「よし、完成」
最後の金具を留め終え、自分の身体を見下ろして改めて似合わないなとユーリは思う。やはりこういう格好はある程度の厚みがないと様にならないものだ。
ユーリも決して貧弱な体格ではないが、体質なのかどれだけ鍛えても肩や胸に厚みが付かない。対して涼しげな風貌のわりにフレンは結構筋肉質なので、フレンに合わせて設えられた鎧の中ではユーリの身体はスカスカと無駄に泳いでしまう。
「終わった?じゃあみんなを呼ぶ?」
「ちょっと待った、とりあえず先にオレ達だけで確認しようぜ。せーので振り返る、いいな?」
「……分かった」
ユーリの姿を想像しているからか、自分の姿を見ているからか、フレンの声はすでに少し笑っている。二人の間をいつになく落ち着かない様子でうろうろと歩き回るラピードも笑いを堪えているのかもしれなかった。
「行くぞ……せーの!」
ユーリの声を合図に、互いに身体を反転させる。
まず目に入ったのは見慣れた幼馴染みの顔。今日も相変わらず嫌味なほどに男前だ。
だがその顔がみるみる不自然に変形していく。同時にユーリも自分自身の顔の筋肉が制御不能に陥っていくのを感じていた。
「……眉毛が段違いだぜ騎士団長さん、男前が台無しだ」
「……団長代行、だよ。ユーリこそ、小鼻が膨らんでるよ」
「……ぶっ」
「……くっ」
瞬く間に我慢は限界を越える。堰を切ったようにユーリもフレンも声を上げて笑い始めた。
「ちょっと!」
「二人だけずるいです!」
「着替え終わったんなら声掛けなさいよ!」
響き渡る爆笑をきっかけに開かれた扉の向こうから次々と仲間達が転がり込んでくるが、腹を抱えるユーリとフレンはそれどころではない。一人増えるごとに室内の笑い声は一人分大きくなっていった。
「や……やっぱり……っ、ユーリはぜんっぜん似合わないね!あははは!」
分かっていて話を振ったくせに、カロルは今にも噎せんばかりに大笑いする。
「そ……そんなことないです!フレン隊の基調色だからちょっと違和感があるんですよ!きちんと髪を結って、お城で読んだ物語の黒騎士みたいな鎧だったらきっと……!」
「黒騎士ねぇ、どうあっても堅気じゃ済まされないのねぇ」
エステルの必死のフォローもレイヴンの突っ込みのせいであまり功を奏さない。常から年齢にそぐわない大人ぶったことを言いつつ、やはり根が子供のリタも「フォローするだけ無駄」と腹を抱えている。
「彼らのことを何も知らずにあの状態で会っていればそれほど違和感はないのかもしれないけれど……やっぱりちょっと笑っちゃうわね」
「……じゃの」
戸口に佇む比較的落ち着いているジュディスとパティも微妙な表情は隠せていなかった。声こそ上げていないものの、普段は手を軽く口元に宛がうくらいのジュディスが完全に口元を覆っているところを見ると、あれが彼女にとっての「爆笑」に近いのかもしれない。
「おま……っ、帯……なんで蝶結び……!シワ……シワ寄るじゃねえか!」
「だ……だってユーリ……いつもあんまり手早く結ぶから……どうやってるのかさっぱり分からなくて……!」
当の二人は腹を抱え、寝台に突っ伏し、笑いすぎて滲む涙を拭いつつ時折噎せる、散々な有様だ。
しばらく経ってようやく少し笑いが収まったユーリが目尻に残った涙を指先で拭いつつ立ち上がる。
「あー笑いすぎて腹が痛ぇ。ほら、お前らももう散々笑って気が済んだだろ。出てった出てった」
「えー、せっかく着たのにもう脱いじゃうの?」
「もう充分だっつーの」
別に見ていたいわけでもないだろうに不満そうな顔をするカロルをはじめとする面々を、ユーリは犬猫にするように手をひらひらと振って「しっしっ」と追い払う。
「男前二人の着替えショーが見たいってんなら話は別だけどな」
「冗談きっついわ。あー笑った笑った、笑いすぎてまたお腹減っちゃったわ」
人を笑い飛ばしておいて好き勝手なことを言いつつ、部屋から一人、また一人と仲間達が去って行く。最後の一人が扉を閉めた後、服を交換したユーリとフレンだけが残された部屋には奇妙な脱力感が漂っていた。
「こんなに笑ったの久しぶりだわ。ったく、こんなことやってる場合じゃないのにな、オレ達」
「いいんじゃない?たまには息抜きも必要だよ」
ぽんとベッドに身を投げ出したフレンが笑いすぎて熱くなったのか、大きく開いた襟元をぱたぱたと引いて風を送り込む。改めて見てもやっぱりフレンにユーリの服は似合っていなかった。
「……重い、な」
白銀の鎧に手を当て、ユーリはぽつりと呟く。
陽光にも月光にも映える、騎士団での高い地位を表す白銀の鎧。基調となる青がフレン・シーフォの率いる隊であることを知る人はまだ少ない。だがそう遠くはない未来、その名は世界中の人々の知るところとなるだろう。
「やっぱりこれはオレには重すぎるわ。……似合わねぇ言い訳じゃねえぞ」
目に映る以上に大きく、重く、窮屈な鎧。目に見えない無数の鎖に雁字搦めにされ、肩には無数の重石を掛けられる。
「お前はすげぇな。こんなモン着て元気に走り回ってんだから。オレならすぐにぺしゃんこだ」
どれだけ苦渋を強いられようと、どれだけ辛酸を舐めようと、屈辱に晒されても、それでも歯を食い縛って目指したひとつの頂点はもう目の前だ。
けれどそれはあくまで一つ目の到達点でしかない。フレンにはそこからさらに険しい道のりが待っているのだ。その道を、フレンはこの鎧を身に纏って歩んでいかなければならない。
「僕にはそれくらいがちょうどいい」
投げ出していた身体をゆっくりと起こしてフレンは笑い、似合わない胸元の開いた黒い服を愛おしげに撫でる。
「この服は僕には自由すぎて、きっと僕はすぐに進むべき道を見失ってしまうよ」
法、規律、規則。大事な時ほどそんなものに縛られて身動きの取れなかった騎士団の鎧を、もうずっと前にユーリは自らの意思で脱ぎ捨てた。
けれど、代わりに手に入れた自由はユーリが思っていたよりもずっと不自由だった。どこへ行っても構わない、何をしても良いと言われても、本当にその通りに生きていけるほど人間は自由に慣れてはいないのだ。
ユーリが歩むべき道を見付けたのはごく最近のこと。それまでは進む道は無数に用意されているのに、その無数に枝分かれしていく道の先は全て闇に閉ざされていて、どれを選べばいいのか分からなかったのだ。
「……ばぁか、お前はそんなに弱くねえだろ?」
再会を約束して別れたあの遠い日から、フレンはひとつの道を歩み続けてきた。そしてこれからも歩み続ける。
「君が思うほど僕は強くないよ」
あの頃と少しも変わらない青く澄んだ瞳の幼馴染み。青年らしく少し精悍に引き締まった頬にユーリはゆっくりと手を伸ばした。するとフレンは自らそこに頬を擦り寄せる。
「一人では真っ直ぐ走れないくらいに」
「オレがいる」
すぐさま口にしたユーリの言葉に迷いはなかった。
一人ではない。オレがいる。たとえ隣に立ってはいなくても、想いはどんな時も側にある。ずっと言い続けてきたことだ。
「お前を縛る鎖が緩んでたらオレがしっかり締めてやる、余計な鎖があったらオレが断ち切ってやる。だからお前は振り返らずに真っ直ぐ走れ」
そのために別々の道を選んだのだから。
「本当に強いのはユーリだ」
今度はフレンの手が伸びてきてユーリの頬に触れる。その手は剣を振るい続ける者らしく固い。けれど思わず目の奥につんとした微かな痛みと熱を感じるほどに優しく温かかった。
頬に触れた手が耳の横を辿って頭の後ろに回される。引かれるのに抗わず、ゆっくりと上体を倒してフレンに顔を寄せたユーリの唇に、やがてフレンの温かな唇が触れ、すぐに離れた。
一瞬の熱にくらりと甘く意識の揺らいだユーリは咄嗟に手を伸ばしてフレンに縋る。だがその手に触れたのは慣れた鎧の感触ではなく体温すら感じる布地の服で、そういえば服を交換していたのだったとユーリは食堂からこの部屋に移動した経緯を思い出す。
自然に閉じていた目を開き、寝台に腰掛けたフレンを見下ろしたユーリはあまりに見慣れない光景に不覚にも息を呑んだ。
ユーリの服を実にユーリらしく着ているフレンの服の胸元は大きく開いている。服の黒と肌の白のコントラストが目に痛い。
「……うわ、オレお前の気持ちがちょっと分かったかも……」
「ん?」
首を傾げるフレンの襟元をそそくさと合わせると、ユーリの呟きの意味を理解したフレンは軽く笑う。
「なかなか厳しい精神の鍛錬になると思わない?」
前を開けすぎだとかもっと慎みを持てだとか、顔を合わせるたびにまるで年頃の娘を持つ父親のようなことを散々言われ、鬱陶しい小煩いと思っていたけれど、なるほど毎回この視覚攻撃を受けていたのなら文句のひとつも言いたくなるのも頷けた。
「僕もちょっとユーリの気持が分かったかな」
「あん?」
「ユーリ、よく僕に言うだろ?おら、とっとと脱げよってさ」
笑うフレンにそんな下品な言葉遣いではないと反論出来るユーリではない。事実言った記憶もあったし、それも一度や二度のことではなかった。
「言われるたびに色気ないなぁと思ってたんだけど、確かにこれは構造がよく分かってない君が脱がせるのは面倒くさそうだね」
「だろ?」
「なんでそこでそんな自慢げなの」
全身をがっちりと金属で覆ってしまうとその分動きが制限されてしまうのでフレンの鎧は比較的パーツが少ないはずだ。それでも結ぶだけのユーリの帯に対してフレンはベルドのバックルだけでも面倒の度合いがまるで違う。
「ってことで、おら、さっさと脱がせよ。肩凝るわ息苦しいわ、やっぱオレにゃこの鎧は合わねえ」
「もう、色気ないなぁ」
笑いながら伸ばされたフレンの手が肩に留めたマントを外し、はらりと舞ったそれは乾いた衣擦れの音を立てて床に落ちる。次々と手際よく複数の留め金を外していくフレンの指先に見入りながら、ユーリはフレンがその身に抱える物の重さを改めて感じていた。
自分の自由が誰のおかげなのか、そんなことは誰に言われなくてもユーリ自身がいちばんよく知っている。ユーリもフレンも、互いに手の届かないところがあって、それぞれに得手も不得手もある。二人で一人前にもまだ遠い。
だからそれぞれがそれぞれに合ったものを身に纏い、駆けて行くのだ。
「何笑ってるの?」
そう言って見上げるフレンの青い瞳も笑っている。
「んー?いや、やっぱお前にオレの服は似合ってねえけど、脱がせやすいってのはいいよなーって……」
不器用に蝶の形に結ばれた帯は軽く端を引っ張っただけではらりと解ける。いつも気付けば自分だけがあれよあれよという間に脱がされているわけだ。
「うん、それは僕も嬉しい」
「バーカ」
軽口ですぐに本当の気持ちは隠されてしまうけれど、お互いの気持ちはお互いが誰よりも知っている。
一人ではない。たとえ遠く離れていても、互いの目にその姿は映っている。
闇を照らす光、光の中の影。ユーリにはフレンが、フレンにはユーリがそれぞれの道を示す道標。だから、迷いなく駆けて行ける。
ずっと、どこまでも一緒に。
END
|