遥か海眺むるその者は
生い茂る木々の向こうから波の音が聞こえる。風には仄かに潮の香りが含まれていた。
星喰み撃破からしばらく経ち、長きに渡る戦いの日々の傷と疲れも癒え、魔導器を失った世の中の大混乱もひとまずの収束を見せ始めた頃、それぞれの場所で復興に尽力していたユーリ達は久しぶりに6人と1匹で揃ってエフミドの丘を訪れていた。
目的は遥かに海を見渡す高台にひっそりと立つ墓への報告。
始めてこの場所に訪れた時には誰のものか分からなかったその小さな墓は、旅の中でかつて人魔戦争の際に人間と共に戦った始祖の隷長の長エルシフルのものだと判明した。確かめたわけではない。だがこの場所に独り佇んでいたデュークの姿を思えばそれは明白だった。
あの時、彼がここで亡き友と何を語り合っていたのかと思うと複雑な気持ちになる。
ユーリ達が訪れたとき、墓の前には白い花が丁寧に手向けられていた。少し萎れてしまってはいるけれど、凛とした気高さを残した美しい花はそれを手向けた者の姿を思わせた。
その横にエステルが手にした花をそっと置く。街で用意したにもかかわらず、道すがら目に付いた野の花を摘んでは一緒に束ねたエステルの花は色も長さも不揃いで統一感がまるでない。だがかえってそれが歳も素性もばらばらな自分達と重なる。もしまたデュークがここを訪れ、この花を見ればきっと誰が手向けたものなのか伝わるに違いないとエステルは朗らかに笑った。
「エルシフルってどんな始祖の隷長だったのかな」
風雨に晒され丸くなだらかな表面になったささやかな墓石を見詰め、カロルがぽつんと言う。
人魔戦争の戦場となったテムザ山の荒廃は凄まじいものだった。その大きな戦いで人間に勝利をもたらしたのがエルシフルの力だったのだ。
「あの超絶石頭のデュークの友ってくらいだから、そりゃもう心の広いヤツだったんじゃねえの?」
「もうユーリ、お墓の前ですよ」
ユーリが軽口を叩けばエステルがすかさずたしなめる。
「石頭って表現はともかく、人間の側に立って同族相手に戦ったってことはエルシフルも自分の信念はとことん貫くタイプだったんでない?似た者同士ってヤツ。青年とフレンみたいなもんよ」
横から口を挟んだのはレイヴンだ。頭の後ろで手を組み、投げ出した足をゆらゆらと揺らす様はかつて帝国騎士団隊長主席として多くの信頼と憧憬を得ていた者と同一人物とは思えない。
「……そこでオレとフレンを引き合いに出すなっての」
「そうじゃなくて……」
頭上で繰り広げられる遣り取りを首を巡らせながら聞いていたカロルがそれを遮る。集まった視線の中でカロルは言葉を続けた。
「どんなだったのかなっていうのは性格とかそういうことじゃなくて、見た目はどんなだったのかなってことだよ。同じ始祖の隷長でもバウルもフェローもベリウスもみんな姿が違ったでしょ?」
「ああ、そっちね」
ジュディス曰く、始祖の隷長達は長い時の中でそれぞれの種から自らが必要とする形に進化していったらしい。ひと括りに始祖の隷長といっても皆姿が違うし、空を泳ぐ者もいれば人の言葉を発する者もいるのはそのためだ。
思い返してみれば、エフミドの丘に葬られた者の胴体はハルルの樹の幹ほどもあったらしいという噂話をちらりと聞いたこともある。その時はまさか始祖の隷長が葬られているなどとは思いもしていなかったので完全に噂話として聞き流して気にも留めていなかったけれど、それが始祖の隷長のことだったというなら納得のできる話だ。
「娘のクロームが竜だったんだから父親のエルシフルも竜だったんじゃないの?ヨームゲンで見たクロームの背中に乗るデュークの姿も様になってたし」
「人魔戦争で人間側に勝利をもたらした大きな要因がエルシフルの存在だったのならきっと空は飛べたでしょうね。それでなくても圧倒的な力の差があるのに空を飛べるのとそうでないのとでは全然違うもの」
魔導士少女リタの言葉にジュディスが頷く。ジュディス自身、バウルの背に乗って世界を旅していた経験上、空を飛ぶことができる強みを充分に理解しているのだろう。
「レイヴンは人魔戦争に参加してたんでしょ?何も見なかったの?」
「あのね、少年はフレンみたいなのを見慣れてるから勘違いするかもしんないけど、あれだけ若くて隊長職、果ては騎士団長の地位に就けるなんて異例中の異例よ。当時のシュバーンは正義に燃える美青年だったけど騎士団の中じゃまだまだ下っ端。弓使いだから元々後方からの支援がもっぱらの仕事だったし、最前線のことなんかほとんど知らないまま、圧倒的な力の差にあっという間に暗転よ」
「そっか……」
レイヴンの答えにカロルは途端にしゅんと肩を落とす。明確な答えを得られなかったことに落胆したわけではなく、嫌な顔も気配も見せずにあっけらかんと答えてはいるものの、レイヴンとして生きることを選んだ彼に過去を蒸し返すようなことを聞いてしまった自分の無神経さを悔いているのだろう。
少年が時折見せるそんな繊細な表情に、すでに折り合いを付け過去は過去、現在は現在と割り切っているレイヴンは「気にしていない」と言葉にする代わりに再び投げ出した足をだらしなくゆらゆらと揺らしながらにやりと笑って見せた。
「グシオスみたいな感じだったりして。空は飛ばないけどゴツゴツしてて頑丈だったし、それを見てたからアレクセイ元騎士団長閣下は彼をモデルにしてヘラクレスを造った、とかさ。結構似てない?グシオスとヘラクレス」
「まぁ確かにグシオスは頑丈で強かったけど、いかんせんあの歩みのゆったりさはなぁ、あんまり戦場向きじゃないんじゃねぇの?」
「テムザ山に着くまでにものすごい時間かかりそうだよね。友よ、急げ、みたいな」
レイヴンとユーリのフォローに気付いているのかいないのか、カロルはくるりと表情を明るく変える。そういう単純な切り替えの早さは彼の良い所だ。まったく似ていない人魔戦争の英雄のものまねに大人達が軽く笑う。
「空は飛べるけど竜じゃなくてミョルゾのクローネスみたいな感じだったとか!」
「クラゲに乗った英雄?なんか締まらないわねぇ」
「もう、みんな、お墓の前ですってば……」
新たな説に幼い二人はきゃらきゃらと笑い、手を組み目を閉じて誰よりも長く祈っていたエステルはほとほと困り果てた様子で眉を下げた。
「さて、そんじゃ報告も無事終えたことだし、魔物どもがぞろぞろ寄ってくる前に丘を下りようぜ。せっかくここまで来たんだ、ノール港でも行ってみるか」
しばらく談笑した後、無造作に下げた剣を持ち直したユーリが丘を下る道に足を向ける。
「お、いいねー。おっさん久しぶりに港街の新鮮で美味い魚が食いたいわ」
「ティグルさん達にもお会いしたいです。ポリー、元気にしてるでしょうか」
ユーリの一言を合図に皆が口々にお喋りを続けながら丘を下って行く。
一行の後姿を見送り、最後までその場に残っていたのは初めに「下りよう」と声を掛けたユーリだった。絶え間なく響く波音に遠ざかる賑やかな声が紛れていく。
「ああいう連中だからほっとくとどんどん好き勝手に想像されちまうぞ。相棒をとんでもねぇ姿にされる前に一回どっかでメシでも食おうぜ。ま、あんたにその気があれば、だけどな」
聞こえるのは波と風の音ばかりで返事はない。けれど端から応えなど期待していなかったユーリは軽く手を振り、「じゃあな」と短く告げ、振り返ることなく細い道を仲間を追って下りて行く。
静けさを取り戻した遥かに海を見渡す丘に午後の暖かな光が燦々と降り注ぐ。断崖から吹き上げる潮風に銀色の長い髪が柔らかくなびいた。
やがて赤く燃える太陽が水平線の向こうに消えゆく頃、丘の上の小さな墓の前には色も長さも不揃いの花束と瑞々しく花弁を広げる白い花が残された。
END
|