BITTER SWEET CHOCOLATE
     

2月14日、バレンタインデー。恋人や親しい人に親愛の情を込めてチョコレートを贈る日。巷には寄り添う男女が溢れ、その手にはきれいにラッピングの施された包みが大切に収められているのだろう。
幸せなことで何より。イベントにかこつけて、もとい、後押しされてなかなか伝えられない日ごろ胸の内に秘めた想いを思い切って告白出来る日だ。製菓業界の策略だろうが何だろうが、それでハッピーになれる人が一人でも二人でもいるのならそんな日もないよりはあった方がいい。

今年のバレンタインデーは日曜日と重なった。恋人同士にとっては想いを確かめ合うべく朝から晩までべったり一緒にいられる幸福な一日になるのだろうが、今日この日に告白しようと目論んでいた学校や職場で顔を合わせるのが前提の者にとっては不運なことだ。
前倒しにするのは何だか間が抜けているし、休日明けに遅れて渡すなんてのももってのほか。義理ならともかく、本命の相手には雰囲気が最高潮に盛り上がる当日に渡したいと思うのが恋心というものだろう。

「……だからってこれはないと思うけど……」

昼にはまだ早いけれど、たとえ学業休止の日曜日であっても普段ならしゃきりと目を覚まし、身支度もすっかり整えているはずのフレンが布団に半身を入れたままベッドの上で溜息を吐いた。

「今日はお前を外に出したくねぇの。オレ以外のヤツをお前の側に近付けたくないんだよ」

昨晩からフレンのベッドに潜り込んでいたユーリが寝起き然とした不鮮明な声で低く言う。ユーリ自身のベッドはきちんとシーツが整えられ、乱れひとつない。顔の半ばまで布団を被ったユーリの両腕は半身を起こしたフレンの腰にしっかりと回されていた。起き出す気配はまるでない。

「バレンタインデーだから?でも今更じゃない?」

呆れ果てたフレンの目は部屋の隅に置かれた複数の紙袋に向けられている。袋の中身は言わずと知れたチョコレート。昨日までに前倒しで貰ったものだ。フレンだけのものではない。半分はユーリが貰ってきたものだ。

「昨日までか明日からならいいんだよ、義理色が強いから。今日はダメ。今日のは本気色が強い」
「……だからって今日僕が外出できないように僕の下の服を下着まで一枚残らず隠すってのはどうかと思うってことが言いたいんだけどね、僕は」
「恋人同士のイベントの日にはお前を独占したいっていうオレの可愛いコイゴコロだ。四の五の言わずに今日はオレと一日ゴロゴロいちゃいちゃしようぜ」

言っていることはそれなりに可愛いけれど言い方がちっとも可愛くない。溜息を吐く気力もなくフレンはぐったりと肩を落とした。
制服から体操着、私服、パジャマ、下着に至るまですべての下半身用の服だけを隠されてしまったフレンは当然のことながら今現在下半身だけ丸裸。縦幅も横幅もほぼ同じサイズのユーリはご丁寧に自分自身の下の服もすっかりきれいに隠してしまっている。

昨夜ユーリは妙に積極的に行為をねだってきて、時に可愛く、時に妖しくフレンを翻弄した。互いにお年頃なのでそういうことが今までになかったわけではないけれど、「どうしたの?」と問えば「バレンタインのプレゼント」と笑って自らの身を惜し気もなく差し出したユーリに心の底からデレデレして応え、行為の後に脱ぎ捨てたパジャマと下着を隠されていることに気付きもせずに疲れ切ってぐっすりと眠りに落ちてしまった昨夜の自分を殴り倒したい。

「こんな面倒なことしなくても一言言ってくれたらそれこそこんな日にユーリを置いて外出なんてしないよ」

そもそもここは学園内の男子寮なので学園が公認する特別な事情がない限り女子生徒は立ち入り禁止、部外者ならなおさら入ってはこれない。もし玄関先まで呼び出されても呼び出した理由がそれと分かる女の子が相手なら外出中だとでも伝えてもらって引き取ってもらえばいい。今日なら「なんでお前らばっかり」とやっかむ男子生徒は喜んでフレンとユーリの味方になってくれるだろう。

「分かんねぇだろ。お優しい生徒会長サマは女の子の真摯な気持ちを無碍にはできないとか言ってほいほい出てったりするかもしれねぇじゃん」
「……まったく……」

休日だからといつまでもゴロゴロしているのは性に合わないけれど、下半身だけを剥き出したまま部屋の中をうろうろするのも絵面的に非常に間が抜けている。諦めたフレンは逃がすまいとしっかりと腰に回されたユーリの両腕をやんわりと解き、もぞもぞとユーリの隣りに身を横たえて布団の中に潜り込んだ。

「外出したくない理由を僕に擦り付けないでほしいな」

布団の中はユーリの体温で程よく温まっている。昨夜のまましなやかな裸身を晒したユーリの身体を引き寄せ、フレンは溜息を微笑に変えて目元と口元を綻ばせた。

「女の子の真摯な気持ちを目の当たりにして無碍にできないのはユーリだろう?ユーリは優しいね。僕はその辺に関してはかなりドライだからね、断ることにいちいち胸は痛まない」

フレンの言葉をユーリは否定も肯定もしない。眠ってもいないくせに目を閉じたまま口を噤んでいる。図星とまでは言わないまでも、完全な的外れでもないのだろう。
ユーリは優しい。イベントという世間の空気に後押しされ、今にも崩れ落ちそうなほどに細い手足を震わせながら勇気を振り絞って想いを伝えに来る健気な女の子を前に、「ごめん」の一言を言うたびに想いを断ち切られた女の子自身よりも胸を痛める。向けられる気持ちが本物であればあるほどユーリ自身が傷付くのだ。

その点フレンには一切の迷いがない。受け入れられないものは受け入れられない、嘘をつくわけにはいかないのだから。何人、何十人から想いを込めたチョコレートを贈られても、どんなに真摯な言葉や眼差しを向けられても、その想いの大きさはフレンがただ一人、ユーリに向ける想いには遠く及ばない。受け入れられないのならきっぱりと断るしかない。変に思わせぶりな態度を見せる方がよほど相手に対して失礼だ。
だからといってユーリのフレンに対する想いが薄いだとか、ユーリが優柔不断だということではない。周りが勝手に作り上げたフレンとユーリのイメージがユーリの言動を制限するのだ。

フレンは生徒会長というポジションも手伝って教師や生徒の大半から真面目で誠実というイメージを持たれている。だから告げられた想いを断ったところである程度の礼儀さえ忘れなければそれがごく普通の対応であっても「誠実な対応」と受け取られる。
方やユーリは型破りな自由人。弱きを助け強きを挫く頼れる男ではあるけれど、ふてぶてしくてガサツ、男らしすぎて女の子に対してたまにデリカシーに欠けるのが玉に傷。周囲が抱くそんなイメージを忠実に演じきるユーリだからこそ、本当の彼に気付いた者の想いはより一層真摯なものになる。フレンに寄せられる大半の想いは所詮肩書きやイメージによるもの。想いの深さがフレンに寄せられるものとは比べ物にならないくらいに育つのだ。

「ガラじゃない、なんて、なんでそんなふうに思うかなぁ」

普段は口も悪いしめちゃくちゃで自分勝手だけど、本当は誠実で優しい良い人。ユーリはそんなふうにプラスのイメージを持たれることを極端に敬遠しているフシがある。そんなのは自分の役目ではないからと。
でもどんなに悪ぶって見せていても気付く者は気付く。それは昨日までにユーリが持ち帰ったチョコレートの数からも明らかだ。
ユーリがチョコレートを受け取る場にフレンも何度か居合わせたけれど、確かに中にはいかにも義理だと言わんばかりに「しょうがないからアンタにもあげる」と投げ渡されたものもある。そんなチョコレートほどユーリはあからさまにほっとした顔で「なんだ、オレはフレンのついでかよ」などと悪態をつきながら気軽に受け取っていた。

でもそうやってぞんざいに渡されたチョコレートほど彼女達の精一杯の本気の想いが込められているのだろう。どうせきちんと改まって渡してもユーリはきっと受け取ってくれないだろうから。
そしてそうやってユーリに逃げ道を与えてくれている彼女達の優しさに気付かないほどユーリは鈍感ではない。
だからイベント本番である今日この日、ユーリは迂闊に外に出ることができないのだ。彼女達の深すぎる親愛の情を受けるにはユーリの心は優しすぎるから。

「……お前よくそんなふうにサラっと堂々と的外れなコト言えるな……」
「なんとでも言えばいいよ。ユーリのことは誰よりも僕が知っている。きっとユーリ自身よりも、ね」

ユーリが呆れたようにぼそりと言ってもフレンには痛くも痒くもない。ユーリのことは誰よりも自分が知っている、その想いにフレンは確信を持っているからだ。
ユーリがその身の内に持つ深く広い器を自分の想いだけで満たせればいい。強固であるがゆえに時に弱く、脆く崩れやすいユーリの胸の内側を守るのが自分の想いであればいい。

「休みだからってゴロゴロするのはあまり慣れていないけど今日は恋人同士のイベントの日だからね。外出するつもりなんて元からなかったし、今日は一日ゴロゴロいちゃいちゃしよう。穿いて出掛けるパンツもないし」

バツが悪いのか、はたまた拗ねたのか、相変わらず目を瞑ったままそっぽを向くユーリの耳元に口付けてフレンは笑う。
2月14日、バレンタインデー。恋人や親しい人に親愛の情を込めて贈り物をする日。お互いに自分の身体と心がプレゼントなんてあまりにもベタすぎるけれど、恋する者が想いを伝える日にこれほどうってつけの贈り物もない。

仄かにチョコレートの匂いが漂う部屋の中、フレンは腕の中に大人しく収まったユーリのなめらかな素肌に顔を寄せ、チョコレートよりも甘い香りを胸いっぱいに吸い込んだ。


END