Cast a spell
目線の高さが違うと見えるものも違ってくる。
ユーリの少し後ろを歩いていたカロルは、ユーリの服の折り返した袖口が裂けて綻びているのに気付いた。
「ユーリ、服の袖が破れてるよ」
「ん?」
指摘されるまでまったく気付いていなかったらしいユーリは破れ目が見える場所まで袖口を引っ張る。あまりにも無造作に引っ張るので綻びが少し広がってしまったが、当のユーリはまったく気にしてはいないようだった。
「さっき魔物とやり合った時に爪でも引っ掛けられたかな」
口では一張羅に何をすると言いつつ惜しんでいる様子は微塵もなければ、補修しようとする気配もない。まるで無頓着な様子はいかにもユーリらしいとは思いつつ、カロルは肩から提げた大きな鞄を探って針と糸を取り出した。
「あんまり引っ張ると裂け目が広がっちゃうよ。街に着いたらちゃんと修繕するから、とりあえず簡単に縫い合わせておいた方がいいんじゃない?」
言いながらカロルは素早く針に糸を通す。こういう細かい作業は得意だ。応急処置くらいなら立ったままで充分、改めて腰を落ち着けるまでもない。
「カロル先生はそういうトコ結構マメだよな」
それを知っているユーリも素直にカロルの言葉に従い、作業がしやすいよう綻びに手が届きやすい場所に立つ。
「ぬいだ」
だがまさに服に針を通そうとした瞬間、ぽつんと落とされたユーリの呟きにカロルは手を止めた。
「え?なんか言った?」
「ああ、悪ぃ。つい癖で」
何かまずかったのかと慌てて手を止めたカロルに、逆にびっくりした様子で取り繕うようにユーリは笑う。
「言わねえ?着たままの服を縫ったりする時に「ぬいだ」ってさ」
カロルをはじめ、ユーリ以外の面々がそれぞれに顔を見合わせて首を横に振る。
「下町だけの風習なのかな。まじないっつーか厄払いみたいなモン。服着たまま縫ったり繕ったりするのは死んだ人に対してすることだから縁起が悪いってんで、口だけ「ぬいだ」って言って服を脱いだことにするんだと。ガキの頃なんかしょっちゅう服破いたり穴あけたりしてたからな、繕うのにいちいち脱いでたらキリなかったし」
ユーリの言葉を聞きながら、全員が「へぇ」と今初めて知ったという反応を見せる。城での軟禁生活が長く、外の世界の見るもの聞くこと全てが新鮮なエステルに至っては両手を胸の前で組み合わせ、感動に目をキラキラと輝かせていた。
「素敵ですね、そういうの。お母さんから子供へ、その子が成長したらまた次の子供へ。羨ましいです」
下町の大人にしてみれば縫った端からまたすぐに破いて帰ってくるユーリはほとほと呆れ果てた存在だったのだが、確かにそうして面倒を見てもらえていたのは誰と誰がケンカしたとか、一歩間違えば大怪我をしかねない危ないことをしているとか、子供が素直に言葉にしない日常の報告書代わりだったのだと今になると思う。
「オレやフレンは飽きるくらい言わされてたぜ」
木登りをしては枝に引っ掛け、ケンカをしてはボタンを飛ばし、毎日どこかしらに裂け目や穴を作っていた。
「へぇ、意外。フレンってそういうやんちゃなイメージないなぁ」
「だから、今でこそあんなんだけど昔はあいつもオレに負けず劣らずだったんだって。一度試しにやってみろよ、あいつも絶対「ぬいだ」って言うから」
そうは言っても、ユーリの幼馴染み、フレンは今や帝国騎士団期待の新任隊長だ。なかなか針と糸を持って接触する機会など巡ってきそうにない。いつかチャンスがあったらと言いつつ、きっとそんな機会が巡ってくる頃には今の遣り取りなどすっかり忘れているのだろうとカロルは思っていた。
だが意外に早くその機会は訪れる。フレンが騎士団の指揮を部下に任せ、ユーリ達と同行することになったのだ。
フレンがただの堅物ではなく意外と抜けたところもある普通の青年だと知るにつれて、カロル達との初めはぎこちなかった空気もすぐに軟化した。
目指す次の街まであと少しというところで魔物に遭遇し、フレン加入により格段に上がった戦闘力によってほとんど息を切らすこともなく勝利を収めた後、ふとカロルは先だっての下町の風習を思い出して鞄を探る。その動きに気付いたユーリに取り出した針と糸を見せると、にやりと口角を上げたユーリは「やってみろ」と軽く顎でフレンの後姿を示して見せた。頷き、カロルは糸を通した針を手にフレンの後ろに立つ。
「フレン、マントの端が破れてるよ。今の戦闘で魔物の爪が引っ掛かったのかな」
少々芝居掛かったカロルの言葉に全員がぴくりと反応を示し、各々別に払っていた意識をフレンに向ける。
「え?本当かい?」
「放っておくと同じ場所から破れ目が広がっちゃうからとりあえず軽く縫い合わせておいてあげるよ。ボクそういうの得意なんだ」
振り返ったフレンに針を見せてカロルが言うと、フレンは素直に「ありがとう」と目元を和ませた。今気付いてすでに針と糸の用意が出来ているというのはいかにも用意周到すぎる感がなきにしもあらずだが、フレンは何ら不思議に思うこともなかったらしい。
全員が密かに固唾を飲みフレンに注目する中、そこはかとなく緊張した面持ちでカロルがフレンのマントを手に取り針の先を向ける。その時だった。
「ぬいだ」
ぽそりと、小さく小さくフレンが呟く。瞬間、皆が歓声を上げ、ぎょっとフレンは青い目を見開いた。
「本当だ!ユーリの言った通りだね!」
「だろ?」
軽やかにハイタッチを交わすユーリとカロルに、何のことかさっぱり分からないとフレンは見開いた目を今度はパチパチと瞬いた。
「フレンも小さな頃のおまじないをまだ守っているんですね!」
「おまじない?」
手の平を合わせ、キラキラとした目で言うエステルの言葉にフレンは首を傾げる。
「ぬいだってヤツだよ。着たままの服を縫う時に言わされてたアレ。どこでも言うのかと思ってたけど、どうやら下町だけの風習らしいぜ」
ユーリがネタを明かし、ようやく合点のいったフレンも「あれのことか」と頷いた。
「子供の頃は毎日言っていたからね。今でも言わないと落ち着かない。でも僕もってことはユーリも?」
「まぁな」
本当にフレンも「ぬいだ」と言うのか、試してみろとささやかな実験をカロルに持ち掛けたこれまでの経緯をユーリから説明されたフレンは爽やかに笑い、期待通りの結果に仲間達も満足そうだ。本当はフレンのマントは破れ目どころか小さな綻びすらない。
「なかなか忘れられるものではないよね」
「そうだな」
互いに頷き合い、幼少時代を共に下町で過ごしたユーリとフレンは当時を思い出して笑みを浮かべる。
「やっぱりそういう風習があるのってすごく素敵なことですよね。いいなぁ……」
城の厳格なしきたりや伝統はあっても、親から子へ何気なく引き継がれるような風習に触れる機会がなかったエステルはひどく残念そうだ。
けれど、それよりも互いに目を見交わすだけで殊更に言葉がなくても充分に分かり合っているユーリとフレンの様子に、ようやく同年代の友達ができたばかりの姫君は羨望の吐息を零した。
END
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