その声は夢の中まで
  

ギルドとして請け負った仕事のために各地を転々とした後、平原の彼方に帝都の威容を認めた時、ユーリは懐かしさと共に「帰ってきた」という安堵を覚えた。自分を取り巻く環境がどう変わっても、やはりユーリにとっての故郷は帝都ザーフィアスなのだ。
だがせっかく久しぶりに上等のベッドでゆっくり休めると期待したのも束の間、忍び込んだ街の中央にそびえる城の中、昔馴染みの私室でユーリは追い討ちをかけるように一仕事させられ、それは今も続いている。

「ん……っ……く……ぅっ」

灯りを消した室内にひそやかに落ちる押し殺した声と荒い呼吸、ベッドの脚が立てる軋み、衣擦れの音。
強く押さえられているわけではないのにどうやっても振り解けない昔馴染み、若き騎士団長フレンの体温を真上に感じながら、ユーリは半ば飛びかけた意識を必死で手繰り寄せる。

思い返せばこの部屋に入った時からフレンの反応はいつもと少し違っていた。
諸々の事情で多少の減刑はされているものの、ユーリは帝国の定める法に背いた犯罪者だ。フレン自身にも犯した罪は帳消しにはならないと面と向かって言われている。城の真正面から騎士団長を訪ねても門前払いを喰らうか、下手をすれば奥から駆け付けた騎士に追われることになりかねない。

世界の命運を賭けた先の決戦の結果、魔導器を失い結界がなくなってからというもの、帝都の外に対する警戒は以前にも増して厳重になった。だが一旦城壁を越えてしまえば中の警備は意外に緩い。所狭しと露店が並ぶ市民街や下町とは違って夕方ともなると貴族街は人影もまばらで、魔導器があった頃は昼夜問わず辺りを照らしていた魔核の仄かな光が消えた今、内に対しては警備の薄い城に闇を縫って忍び込むなどユーリにとっては造作もないことだった。

そんなふうにある時は窓から、ある時はかつてレイヴンに教えられた地下通路を利用して易々と城内に忍び込むユーリを結果的には受け入れつつも若干の小言を欠かさないフレンが、今回はやけにユーリの来訪を喜んだ。小言の「こ」の字もないばかりか、元々柔和で優しげな顔はさらに笑み崩れ、両手を広げる勢いでユーリを迎え入れた。
そしてあれよあれよという間にベッドに仰向けに転がされ、衣服を剥がれ、今のこの状況というわけだ。

もちろんユーリとフレンがこの手の行為に及ぶのはこれが初めてではないし、嫌なら見付かれば厄介事になると分かっていてわざわざ城に会いに来たりしない。世の中が変化してもユーリの貴族嫌いは健在なのだ。
フレンはフレンで「いざとなったら体当たり」は今以って十八番だが、常には思慮深く、長年の騎士団生活の賜物か行動も紳士的でたとえ男相手だろうとこんなに強引に行為に走ることなどこれまでにはなかったというのに、今日はやけに積極的に事を進める。行儀は良いがその性急さはまるでようやく餌を与えられた犬のようだった。

「ちょ……っ……フレン……お前どうしたんだよ……今日、変……っ」
「うん、そうかもね」

喉を喘がせて必死で紡いだユーリの言葉をあっさりと肯定して、フレンは互いの腰骨が触れ合うほどに密着した腰を更に深く揺すり上げる。

「うっ……ん……ぁっ」

ギルドの仲間達には絶対に見せられない顔を腕で覆い隠し、ユーリは身体を小刻みに震わせた。
どうしてこうもタフなのだろうかと朦朧とした意識の中でユーリは呆れる。瞬間的な爆発力はおそらくユーリの方に若干の分があるだろうけれど、長期戦に縺れ込んでしまうとフレンに圧倒的な分があるのは剣でもこういう行為でも同じらしい。最新の技術と素材で強度はそのままに軽量化されているとはいえ、毎日毎日鎧で身を覆って今日はこっち明日はあっちと走り回っていれば自ずと体力も持久力も身に付くということなのだろう。

正直なところユーリの方はとうに限界を越えていて出るものも出ない状態ではあったけれど、それでもユーリにはフレンに「やめろ」と憤る気も「やめてくれ」と懇願するつもりもなかった。本気で嫌なら体力が残っているうちに瞬間的爆発力を頼りに殴り飛ばしている。
ただフレンの様子がいつもと違う理由が気になっていた。ユーリにとって都合の悪い事ならフレンはきっと自分だけの胸の内に仕舞い込んで悟らせないようにするだろうし、何より惜しげもなくユーリに向けられる感情は悪いものだとはとても思えない。

「……なぁ……フレン……」
「ん?」

顔を覆っていた腕を下ろし、その手で動きを妨げるつもりはなくフレンの柔らかな金色の髪に触れる。ろくな洗髪料もない下町で暮らしていた頃からフレンの髪は貴族にも引けを取らないくらいに綺麗だったけれど、城住まいになってからはさらにその輝きが増した。
ユーリと一緒に育ったはずなのにフレンの物腰は柔らかいし、言葉遣いも穏やかだし、何より顔がこれでもかというほどに整っている。女性達によるフレン親衛隊が発足するのも頷けた。

「なに?ユーリ」

呼びかけておきながら髪の手触りに意識を奪われてるユーリの手の平にフレンが唇を押し当てて問い返す。そのくせ答えを聞く前に問いかけたその唇でユーリの唇を塞いで言葉を飲み込ませたフレンは、深く寄せていた腰をゆっくりと引いて身体の境界を越えた繋がりを解いた。

「ん……っ」

長く人肌に触れ温かさに慣れていたそこは直接触れる外気の温度を敏感に拾い上げ、その冷たさにユーリはふるりと無意識に身を震わせる。
両腕を支えに上体を起こしたフレンはユーリの肩に手を掛けてぐったりとシーツに沈み込む身体をうつ伏せに返し、指先ひとつ動かすにも普段の倍以上の力を要するほどに疲弊したユーリは両脇に添えられた手に引かれるまま無防備に腰を突き上げた。
背に覆い被さるフレンの手がしとどに濡れた両足の間を探り、完全には閉じ切っていない後孔の縁をなぞる。感覚が鈍っているのか鋭敏になっているのか、それすら曖昧なそこは次いで押し当てられた熱い丸みを自ら蠢いて易々と内側へ引き入れた。密やかな水音が荒い呼吸に重なる。

「あっ、は……あぁ……っ」

挿入の角度が変わり、突かれる位置が変わったことでユーリの上げる声もまたその音色を変え、長い黒髪がシーツの上で艶やかに波打った。

「ねえ……ユーリ……」

やがて限界を越えたはずの身体がささやかな絶頂を迎えて再びシーツに沈む。深く繋がったままその背に覆い被さるフレンが肩越しにユーリの耳元に囁いた。

「魔装具……ってなに?」

その言葉を聞いた途端、外から施される感覚のためではなくユーリの身体が小さく反応する。荒い呼吸さえ一旦止まり、ゆっくりとフレンを見返すユーリの瞳は今にも蕩けそうな熱の奥にぽつりと固く冷たい芯が生まれていた。

「……うちのギルド秘蔵の品だよ。その話、誰に?」

一段低くなったユーリの声をさほど気に掛ける様子もなく、鮮やかな空色の瞳を撓めてフレンは笑っている。

「アスピオの天才魔導士の女の子。リタっていったっけ?」
「……あのバカ……っ」

フレンの返答に溜息と共に短く吐き捨てるユーリを相変わらずの笑顔で見詰め、黒髪を指先に絡めて遊ばせていたフレンはゆっくりと首を横に振って見せる。

「彼女が自分から吹聴して回っていたわけではないよ。ハルルから登城されていたエステリーゼ様にお伝えしたことがあって部屋を訪ねたら、一緒に来ていた彼女の声をたまたま聞いたんだ。本当にたまたまだから僕以外には誰も聞いていない」
「……あ、そ。で?なんでお前はそんなに上機嫌なわけ?」

顔を見なくても如実に伝わる鼻歌でも歌い出しそうな背後のフレンの気配に少々げんなりとしつつ、フレンを背に乗せたままユーリは問い掛けた。

「面倒な曰くのありそうなそれを集めて、オルニオンにいた僕に押し付けようとしてたんだろ?」
「…………」

一体何をどこまで知っているのかと内心で事情を話したらしいリタを詰り、耳聡いフレンを詰りながらユーリは柔らかな枕に顔を埋める。

「でも僕はそんなものの存在は今の今まで知らなかった。僕の負担を増やさないために君達が所有することにしたんだろう?」

吐き出した長い溜息はことごとく枕に吸い込まれた。

「……年がら年中お前は多忙だし、何が起こるか分からない妙な代物押し付けて管理も出来ずにろくでもないヤツの手に渡るくらいならオレ達で持ってる方が安心できると思ったからだ。別にお前のためじゃねえよ。実際ろくなモンじゃなかったしな……」
「僕に掛かる負担の軽減とオルニオンの発展のために手を貸してくれたし」
「……それこそ街の発展のためであってお前のためじゃねえよ」
「貴族街なんか好き好んで来たくないと言いながら、帝都に戻ったら必ず城の僕のところに来てくれるし」
「……長旅で疲れた身体には下町の煎餅布団よりこっちの布団の方が寝心地がいいからだよ」

ユーリの反論を聞いているのかいないのか乱れて毛先をあちこちに散らしていた髪を手櫛で整え、艶の増した黒髪に頬を寄せてフレンは心の底から幸せそうに笑う。

「小さい頃からお互いに怒鳴って怒鳴られて、殴って殴られて、呆れるくらいに何度も何度も喧嘩して、でも進む道は違っても今でも僕達はこうして一緒にいる時間があって、君は僕の知らないところで僕のことを想ってくれていて、そうやって色々考えていたら僕は結構ユーリに愛されているんだって自惚れていいのかなぁと思ったら嬉しくなって」

「お預け」を解かれた犬のようにがっついていたかと思えば、今度はゴロゴロと喉を鳴らす猫のように肩口に鼻先を擦り寄せ、盛大に甘えるフレンに溜息すら零せずユーリは深くシーツに身を沈めた。ぶり返した深い疲労感に睡魔が上乗せされる。

「……愛とか言うな、恥ずかしい……」
「ユーリは僕を愛していないの?」
「…………」

返事をするのも馬鹿馬鹿しい。その手の感情がなければこんな状況を甘んじて受け入れるわけがないだろう。
もはや目を閉じる力しか残っていないユーリは背中にフレンを乗せたまま瞼を閉じた。下町の固いベッドだとこの姿勢ではまともに体重が掛かってとても眠れたものではないが、城の柔らかなベッドなら覆い被さるフレンの身体はユーリを優しく温かく覆う。眠りはすぐそこまで来ていた。

「僕はユーリを愛しているよ。愛してる。もうずっと長い間、これからもずっと、誰よりもね」

もういい、それ以上言うな、夢の中でもその声が聞こえてきそうだ。
言葉にする力や余裕はすでにない。意識はみるみる端から白く霞んでいく。

「愛してるよ、ユーリ。ねえ、聞こえてる?」

もう言わなくていい。そんなことは知っている。
意識が完全に白く塗りつぶされる寸前ユーリは思う。

久しぶりの穏やかな眠りは優しい夢を見られそうだ。


END