こどものちから
世界に災厄をもたらす異形「星喰み」撃破から5年。魔導器を失ったテルカ・リュミレースはひとまずの混乱期を乗り越え、晴れ渡る青い空の下、人々の新しい生活が賑やかに営まれていた。
何もかもを魔導器に頼った生活を当たり前のように思っていた大人達にとっては不便な生活に慣れるための5年間だったが、魔導器の恩恵を知らずに育った子供達は親が不便になったと嘆く世界を何を気にすることもなく元気に走り回っている。
そんな子供達を窓の内側から微笑ましく眺めるギルド凛々の明星の若き首領、カロル・カペルは今年で17の歳を迎えていた。
少年期の終わりに差し掛かり、青年期の入口が見え始めるこの頃。目まぐるしく動いたこの5年間で、見た目通りに自分は成長したのだろうかとカロルは時々不安になる。
ギルドを立ち上げた時に比べると随分背は伸びた。でもまだ憧れの人には僅かに追い付かない。
だが幼い頃から自分の身長よりも大きな武器を振り回していたカロルは、どちらかと言えば憧れの人のような猫科の動物に似たしなやかな体型よりも、かつて所属していたギルド魔狩りの剣の首領クリントに似た体型になりそうな成長を見せている。もちろんクリントほどの巨躯にはまだまだ程遠い幼い骨格ではあるけれど。
「ねぇ、ユーリ」
きゃらきゃらと高い声で笑い合って遊ぶ子供達から目を離し、カロルは室内へと視線を戻す。
「んー?」
長椅子に長々と寝そべり、気のない生返事をする人物こそ、首領の肩書こそないものの凛々の明星の実質的な大黒柱、カロルの憧れの人、ユーリ・ローウェルその人だ。
「子供ってすごいね」
「なんだー?急に。ガキでも拵えたくなったか?」
「……違うよ」
ユーリは無闇やたらと人をからかう性質ではないが、この手の会話が長引けば引き合いに出される名前は目に見えている。出会った頃は年齢に配慮してか滅多に交わされることのなかった女性絡みの会話も、カロルの成長に合わせて徐々に増えていた。主に「彼女との仲は最近どうなんだ?」という類の内容だったが。
「そうじゃなくて、小さい子供の順応力はすごいねっていう話」
話の方向性が変わる前にカロルはそそくさと会話の軌道を元に戻す。
窓の外で遊ぶ子供達の中、先頭に立っていた少年は魔導器を知っている年頃に見えた。知っているとは言ってもごくごく幼い頃だろうから記憶にあるかどうかは定かではないが、世界の急激な変貌の経験者だ。
大きく変わる暮らしの中で、魔導器のない世界に真っ先に馴染んだのは子供達だった。大人ほど魔導器の便利さを理解していなかったから当然のことなのかもしれない。
「そうだな」
ユーリもまた目を閉じながら子供達の声を聞いていたのか、すぐにカロルの言わんとすることを察して頷く。
「だからさ、お前もすごかったんだぜ?」
「……え?」
ぱちりと開いたユーリの目が真っ直ぐに自分に向けられてカロルは驚いた。
「ボ……ボク……?」
「何うろたえてんだよ。あの時一番成長したのはカロル先生だろ?」
まさか話の矛先が自分に向くとは思わず目を白黒させるカロルにユーリはニヤリと笑って見せる。
ユーリの言う「あの時」とは、たった6人と1匹で星喰みを討とうと立ち上がった旅のことだ。
ユーリと出会った頃のカロルは一人では何もできない、何かあってもすぐに逃げることばかりを考えている口先ばかりの弱虫だった。だが長い旅の中でカロルは一人では何もできないのは決して格好悪いことではなく、仲間を信じ、力を合わせればどんな困難にも立ち向かえる勇気になることを知った。少しずつ成長していくことで、危うく見捨てられそうだったナンにも認めてもらうことができた。彼女には未だに顔を合わせるたびに「まだまだね」と冷たく言い放たれるけれど。
「オレやジュディやレイヴンなんかは悟りきって何もかも分かったような顔して、その実自分のことしか考えてなかったからな。その点、お前は何でも素直に柔軟に受け止めて次々と新しいことを自分のモンにしていってただろ?」
「そう……かな?」
自分で自分のことはなかなか分からないものだ。
それでも自分でも少しは成長したかなと思えるということは、他の人の目にはもっと大きく成長しているように見えるのかもしれない。
ユーリに初めて会った時からもう5年の月日が経過している。カロルが5つ歳を重ねたように、同じ時を生きているユーリも当然のことながら5年分の歳を重ねているわけだが、会った時点で身体的にも精神的にもある程度完成されていたユーリはあまり年月の経過を感じさせない。過酷な旅の間にすっかり傷んでしまった長い髪を一度ばっさりと切り落とした時にはさすがに印象が少し変わったものの、それもほぼ元の長さに伸びつつあるので見た目だけなら出会った頃に戻ったようにすら見える。
「こいつすげぇヤツだなぁって感心してたんだぜ。ま、初めは何だコイツって思ってたんだけどな」
言いながらゆっくりと長椅子に身を起こしたユーリは、長い腕を伸ばして大きく伸びを始めた。そのしなやかな仕種はまさに猫のようで、見ているカロルまで身体が解れていくように思えるほど心地良さそうだ。伸びるところまで伸び、一気に緊張を緩めてユーリは深く大きく息を吐き出す。柔らかそうな長い黒髪が窓から射し込む陽光を弾き、さらりと肩を滑り落ちた。
カロルの胸をドンと重い衝撃が襲う。それは身体の内側から胸板を叩く心臓の鼓動だ。
まただ、とカロルは思う。この5年であまり変わっていないように見えるユーリの中で、ひとつだけカロルが感じるようになった変化があった。
それはきっとレイヴン流に言うところの「男の色気」というものだ。思い返してみれば、かつて旅の途中に砂漠の街マンタイクで会った「うしにん」なる不思議な人物もユーリを指して無駄にフェロモンがどうのと言っていた。
おそらく会った頃はカロルが幼すぎて気付かなかっただけで、当時からユーリにはその「色気」があったのだろう。風通しが良さそうだなと思うくらいで特に何も感じなかった胸元を大きく開いた黒い服も、今なら白い肌とのコントラストに目のやり場に困ったかもしれない。
最近では前ほど肌の露出のある服は着ていないけれど、大半を野外で過ごしているわりに白い肌はあからさまに見せているよりも時折ちらりと垣間見える方が妙な具合に心臓が跳ねる。そんなふうに感じるようになったのもきっとカロルが歳を重ねたせいだ。
だからと言ってその感情が即恋心だの何だのとより色っぽい方向に流れるかと言えばそうではない。男同士なのだから当然という概念は一般に比べればカロルの中では薄かった。
この概念の薄さは完全にユーリのせいだ。正確にはユーリと、ユーリの親友であるフレンのせい。
ギルドの一員として世界各地を自由奔放に旅するユーリと、二十歳を僅かに出たばかりの若年で帝国騎士団の団長の地位に昇り詰めたフレン。まったくタイプは違うのに、違うからこそ互いが互いの支えになる二人は幼い時期を共に帝都の下町で暮らした幼馴染みだ。
ユーリは未だにただの腐れ縁だと言い張っているが、それだけなわけがないだろうと常々カロルは思っている。
フレン本人が側にいない時、会話の中でフレンの話題を出してもユーリの態度は素っ気ない。身の危険を報せる内容の場合は顔色を変えるが、立ち寄った街につい先ほどまで騎士団がいて、その中にフレンの姿もあったという話や、また手柄を立てたという噂には「ふぅん」だの「良かったんじゃねぇの」などとまるで興味のない風を装う。
それが装いだと分かるのは、噂だけなら変わらないユーリの表情が、ひとたびフレンと顔を合わせれば纏う気配ごとがらりと豹変するからだ。表向きは普段のクールな印象を崩さない。だが目には見えなくてもふわりと溢れ出し、濃密に香り立つ「匂い」があった。
フレンと滞在地が同じになり、尚且つ滞在時間にも余裕がある場合、必ずユーリは挨拶に行ってくるとフレンの元を訪ねる。フレンとは知らない仲ではないので、何も知らなかった頃はカロルも付いて行こうとしたこともあったが、やんわりと、だがこれ以上もなくきっぱりとユーリに拒絶された。今ではもう付いて行こうなどとは冗談でも思わない。
顔を合わせただけでも濃密に匂い立つユーリの気配は、フレンの元から戻るとさらに濃厚になっている。その頃になると何やらこちらまで妙な気配に当てられてまともに目を合わせられなくなるほどだ。
以前は最小限の言葉と合図で十二分に分かり合う二人をただただすごいと思っていたし、羨ましかった。カロルの中に何を見たのか、ユーリは出会って間もないうちから多少のからかいを含みながらも先生、首領とカロルを認めてくれてはいたけれど、どれだけ絆が深まってもカロルはユーリの「仲間」で、「相棒」にはなり得ない。それを少しさみしく思っていたこともあった。
それが「何だかちょっと思っていたのとは違うぞ?」と思い始めたのは決戦後の精神的に少し余裕が生まれた時期だ。カロルの思いの変化にまず気付いたのはレイヴンだった。
「……うーん……ユーリが……っていうかユーリとフレンの……?……あー……なんて言うのかな……」
どうかしたのかと尋ねられ、どのように表現したものかと説明する言葉を探して唸るカロルをしばらくじっと見ていたレイヴンは、やがて不精髭の生えた顎をさすりながら笑った。
「少年も着々と大人の階段を登ってんのねぇ」
そう言われると余計に言葉が出てこない。その思いは正直に顔に出たらしく、へらへらとした笑いを苦笑に変えたレイヴンは頭の後ろで手を組み、投げ出した足をゆらゆらと揺らしながら天井を見上げた。どうやらレイヴンは早いうちから色々と訳知りだったらしい。
「あー……まぁ、無理に知ろうとする必要も理解する必要もないけど、何もかもひっくるめてユーリって人間ってこった。お前さんもユーリが好きなんだろ?」
「好き……って言うとなんかアレだけど……」
真正面から目を合わせてストレートに問われ、もごもごとカロルは口ごもる。
「かっこいいなと思うし尊敬もしてるよ。ボクもあんなふうになれたらなって……」
カロルには追い付きたいと目標にする背中がいくつかある。ユーリはまぎれもなくその一人だ。追いつき、並び、いつの日か追い越したい。
「確かに、好きっつっても色々あるからなぁ。少年の魔狩りの剣の嬢ちゃんに対する好きってのとはちょっと違うわな」
「な……っ!だからナンはそういうんじゃなくて……っ!」
不意打ちで出された名前に泡を食い、高い声を上げるカロルをレイヴンは朗らかに笑い飛ばす。ぷいとそっぽを向いたカロルを「まぁまぁ」と宥めたレイヴンは、ここぞという時に見せるユーリにも真似できない大人の笑みを見せ、カロルの肩をぽんとひとつ叩いた。
「好きって気持ちにゃ色んな種類があって、そのいっぱいある好きには良いも悪いもないってこった」
レイヴンの言葉の意味はちゃんと理解できる。ユーリはフレンが「好き」で、フレンもユーリが「好き」。でもその「好き」の種類が当初にカロルが思っていたものとは少し違っていたということだ。ただそれだけのこと。
カロルとユーリの歳がこれほど離れていなければ、もしかしたらカロルの受け止め方は変わっていたのかもしれない。例えばもっと歳が近くて、なおかつ同じようにカロルがユーリに憧れを抱いていたとしたら、ユーリとフレンのいわゆる一般的な常識からは外れた関係を知った時に憧れが嫌悪に変わっていた可能性もある。多感な時期、加えてその手の関係に理解のある周囲の影響で自身の憧れを恋慕と勘違いしていたかもしれない。
だが、カロルに好きという気持ちの何たるかを説いたレイヴンをはじめ、カロルの周辺にいる人々の大半がその事実を受け入れていたせいもあって、カロルもまた子供らしい柔軟さでごく自然に全てを受け入れていた。そのことでカロルのユーリに対する憧れや尊敬が損なわれることもない。ユーリはちゃんとカロルのことも「好き」でいてくれたからだ。
色々なギルドを渡り歩いていたせいで元々少し耳年増なところのあったカロルだが、知識に現実が追い付き始め、ユーリが溢れさせる「匂い」の意味を正しく理解できるようになっても、カロルがユーリに対して嫌悪を覚えることはなかった。嫌悪を覚えるどころか、逆に心配になってきたほどだ。
何しろユーリはあまりにも自覚がなさすぎる。人のこととなると驚くほどに聡いユーリだが、自分のこととなると無頓着にもほどがある。
連絡もつかず、足取りも掴めないままフレンと会えない時間が長引くと、再会した時のユーリの「匂い」は溢れ出すなどというきれいな表現では収まりきらない。まさに垂れ流し状態だ。
「ユーリ」
「んー?」
開け放った窓から吹き込む風に髪を揺らし、陽光に目を細めていたユーリはカロルの呼び掛けにまた生返事を返す。
「今度久し振りに帝都に行ってみようか」
「んー?そうだなぁ、長いこと下町の連中にも顔見せてないしな」
ユーリの言葉にカロルは内心で舌を出す。本当に会いたいのは下町の人達ではないくせに。
「フレンにもしばらく会ってないしね」
「あいつなら元気で真面目にやってんだろ。悪い噂も聞かねぇし」
やはりユーリの声音は素っ気ない。けれど、「あいつ」と気のなさそうに言う瞬間、ふわりと微かに甘ったるい気配が漂った。
フレンに最後に会ったのはひとつ前の季節の始まりの頃だ。しかも互いにちらりとその姿を人垣の向こうに垣間見た程度。そろそろ禁断症状が出てもおかしくない。
呆れ果てながらもこの5年でこんな状況にすっかり慣れてしまった自分も自分だとカロルは思う。
「……やっぱり子供の順応力ってすごいよね……」
我ながら心の底からそう思った。
視線を窓の外に向けているユーリの意識が向かう先は十中八九フレンの元で、ユーリ本人はひっそりのつもりだろうがカロルの目には明らかにフレンを想っているのだろうユーリを覆う気配はほんのりと薄紅に色付いて見えるほどだ。これほどあからさまなのはカロルの慣れだけでなく、ユーリもカロルの存在に馴染んだからこその気の緩みのせいなのかもしれない。だがどちらにしろ慣れとは恐ろしいものだ。
「……はぁ……」
思わずカロルは溜息を零す。きっと帝都に近付くごとにユーリの「匂い」は濃密さを増していくのだろう。
「なんだぁ?溜息なんかついて、恋煩いか?」
遥か遠くフレンの元まで飛んでいた意識が戻ってきたユーリが耳聡くカロルの溜息を聞き付けてからかう。
「おかえり。……違うよ」
「何だよ、おかえりって」
「……いや、うん……何でもない……」
変なヤツと笑うユーリがやけに幼く見えるのはカロルが成長したからなのか、あるいはある程度成長すると大人は子供に戻っていくからなのか。そういえば、初対面時にカロルが「おじさん」呼ばわりしたレイヴンも最年長のくせに随分と子供じみたことを言っていた。
出会った頃のユーリはカロルにとって非の打ちどころのないかっこいい大人の男で、憧れだった。身長差のせいではなくユーリは首の後ろが痛くなるほどに見上げなければならないくらいに大きくて、ほっそりしているのに力強い背中はどんなに全力で駆けても追いつけないくらい遠くにあった。自分の力の弱さや至らなさやばかりが目について、はやく大人になりたいと思った。
「大人になる……ってどういうことなのかな」
「おー?なんだー?お前さっきからやけに意味深なことばっか言ってんなー。やっぱ何かあったんじゃねぇの?」
またしてもカロルの呟きを聞き付けてユーリが身を乗り出してくる。ついさっきまで遠い空の下のフレンを想ってぼんやりしていたくせに、その紫かかった黒い瞳はまるで少年のようにきらきらと輝いていた。
カロル少年が憧れたユーリ・ローウェルとはこんな男だっただろうか。青年期を目前に控えたカロルは内心で首を捻り溜息を吐く。
「何もないよ。ただ、改めてあの時ユーリに会えていて良かったなって思ってただけ」
きっと遅くても早すぎても駄目だった。あの時、ただ与えられるものを受け取るだけでなく、自ら変わりたいと選択する意思を持ち始めた頃のカロルだったからこそユーリから、仲間達から多くのものを吸収できた。良くも悪くも。おかげで今でも同じ年頃の中では飛び抜けて柔軟で広い視野を持てていると思う。
「なんだ?改めてそう言われるほどのことって何かあったか?」
「ホントに何もないって。それより、帝都で今度こそフレンに会えるといいね」
「はぁ?ここでなんでフレンが出てくんだよ」
事あるごとにナンとの仲を引き合いに出される経験の賜物か、カロルの不意打ちはそれなりの成果を収めたらしい。いつもよりもやや高いトーンのユーリの声と話題を逸らすことに成功した満足感に笑みを浮かべ、カロルは再び窓の外へと目を向けた。何やら後ろからぶつぶつと低い声でぼやくユーリの声が聞こえたが気にしない。
星喰み撃破から5年。世界は大きく変化し、変わっていく世界を受け入れられないほど人は弱くないとかつて自ら口にした言葉の通り、人々も世界と共に変化している。
見た目にはそれなりに成長しているけれど、その見た目通りに内面も成長しているのかとカロルは時々不安になる。
けれど、世界がまだ成長の過程であるのと同様にカロルもまだまだ成長の過程なのだ。カロルはまだ出会った頃のユーリの年齢にも到達していない。大人の例は良い手本も悪い手本も身近にたくさんある。培った柔軟さで学んでいけばいい。
憧れの人の背中はまだ遠い。
その背を追い越すなど、まだまだ遠い未来のこと。
しかしながら、未だに背後でぶつぶつと呟く声を聞くにつけ、もしかしたらある一定の部分ではユーリと対等に渡り合えるようになったのかもしれないとカロルはほくそ笑む。
カロル・カペル、17歳。まだまだ成長の途中。
柔軟性に長けた子供の力は侮れないものなのだ。
END
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